今日6月6日は夫、幸治さんの26回目の命日、あの日のことは今でも過ぎていった時間通りによーく覚えています。
26年前の6月5日のひる過ぎて、夫と私はお別れの儀式をしました、彼は常に身近に置いてあった革のカバンを私に手渡して、それから言葉はありませんでしたがその私の手を握りました。
小学6年生、11歳の幹太を私に委ねる、だから万感の思いを残して「幹太のことは頼む」と言っているんだと思いました、「だいじょうぶ、しっかり育てるからね」と私はその骨と皮だけの手を握り返しました。
時計はすでに6日に代わっての時をきざんでいた12時が過ぎて、わが家の電話が鳴りました、危篤を知らせる病院からだと覚悟を決めて受話器を耳にあてました。
大あわてで起こされた幹太はまだ眠気いっぱいのような走り方でしたが、とにかく私たちは夜道を急ぎました。
病院への少し前で私は足を止めました、そして幹太の頭をなでながら、「パパとは最後のお別れになってしまうかもねー、この日の事は忘れないようにね」と言いました、幹太の頭は小さくうなづき返してきました。
そして私たちが病室に飛び込んで、それを待っていたかのように夫、幸治さんの呼吸は止まりました、平成6年6月6日、1時11分でした。
融通がきかないほどの頑固で真面目、だから最後の幕引きも几帳面に数字を並べてだったのねと思ったら、口元に薄く微笑みが、そして涙が頬を流れました。
《はにかみつつ 愛をつげくれし唇に 永久の別れのくちづけをせむ。》