ニューヨークの旅 No.21 第6日目・8月14日(日)

朝というか、真夜中というべきか、私は2時少し前に目覚めました。よーく眠ったので頭の回転はかなりすっきり良好です。

そーっとベッドから降りてまず浴槽に湯をはります、このアパートメントハウスに滞在中ずいぶん悪戦苦闘させられたけれど、でもずいぶん楽しませてももらったジャグジーつきの大浴槽ですが気持ちよくドンドンお湯が出てそれほどの間もおかずにお湯が満たされていきました。その間に歯を磨いて、洗面所に置いておいたあれやこれやを手早くひとつにまとめます。

これがここアパートメントハウスでの最後の入浴です。「ニューヨークで入浴かー?!」と、そんな言葉がフッと頭に浮かびました。ははーん、これがおやじギャグっていうものだなーと、苦笑しながらもうなづいて感心、それからしばらくの間ゆっくりとお湯の中で物思いにふけります。

私はベーチェットの後遺症があるので朝晩の入浴、関節のこわばりを解消させるために特に朝の入浴は欠かすことができない日課なのですが、この風呂の中でゆっくり物思いにふける、これがまたたまらなく好きなことなのです。そして「おっとっとー、今日ばかりはそんなにゆっくりはしていられませんよ、なにしろこれから荷造りをしなければならんのですからねー」と、自分に言い聞かせるのです。

お風呂から出るとまずウランに朝のドッグフードを食べさせます、まだ3時前ですから今の時間に食べさせれば飛行機に乗るまでの間に何回か排泄を繰り返して、乗る寸前に最後の排泄させて、日本まで13時間弱ですが……、ちょうど良いはずです。

ウランは最初『へー、どうして?!』と、あまり朝早い食事なので私の様子を眺めていましたが、『でも食べられるのだったら、時間なんてまあどうでもいいかー!!!』という気分だったのでしょう、なにしろ彼女はすごーくくいしんぼうですから……。そそくさと食器のところにやってきて、ガブガブといつものすさまじく早い勢いで、あっという間もなく食べ終わりました。

それから物音を立てないようにしながらリードをつけたウランと庭に出ます。動きが悪い鉄の鎧戸を開ける時には必ず「ギギーッ」ときしむ音が響きます。この音がなんだか私の潜在的恐怖心をそそるのですが、そしていつも胸がドキドキするのですが、この胸ドキドキもこれでおしまいかなーと思うと、それさえもさみしくなりそうでした。

ウランのワンツーを処理してから、私はウッドデッキで椅子に腰をおろして、その横の観葉植物のみごとな肉付きのよい葉をしばらく手で触って、過ぎていった5日間のあれやこれやを思い出してしまいました。ここに最初に座ってMS.YORANDAとおしゃべりをした時のこともです。そしてまた「おっとっとー」と感傷にふける傾向のある自分自身を戒めなければなりませんでした。なにしろ今日はこのアパートメントハウスを9時に出発でJFK空港に向かうのですから、それまでに荷造りをしなければならないのです。

私はこの片づけ物がニガテです、どうしてなのかわかりませんが、とにかく片づけが本当にニガテだし、嫌いなのです、だから重い腰をあげるにはかなりな気合が必要です。

「ウラン言ってちょうだいね、お母さんそういう思いにふけるのはトランクに荷物をいれてからだよとさ」傍らのウランに話しかけますが、彼女はそんなことより、わたしは眠いよーと、そのウッドデッキにながながーと体を伸ばしてまた眠りについてしまったようでした。

さあそれからが大変です、クローゼットルームにはマダムが言っていたように荷物は私の分だけが残っていました。それをとにかくトランクに押し込んで、これも、あれもと押し込んで、忘れ物はないかなーと探しながら、またそれらも押し込んでです。頼りのマダムが5時ころに目覚めてくれましたが、そのころにはほぼ私の荷造りもできあがって、彼女に体重をグアーンと載せてもらって、カギをかけてひもでゆわけばいいだけのようになっていました。

8時に朝食です、マダムが冷蔵庫の中に残っているすべてを使ってにゅうめんを作ってくれました、もちろん和洋折衷のにゅうめんでしたが、でもおいしくて、のどごしも良くススーッと胃袋へ入っていきました。マダムは昨日のベーグル屋さんから持ち帰ったものを食べてだったということで、私だけ手のかかる料理を作ってもらって、ちょっとおばさん恐縮の巻でした。

階下の自室からこのリビングへトランクを持ち上げるのもまた大変でした。なにしろ最初のときウランが下りるのを拒否したほど狭くて急勾配な階段です。そこを私とウラン、そこに荷物で膨らんだトランクですから……。

朝食のテーブルについていたスイス・ファミリーのパパさんが「OK」とばかりに、気軽にそしてヒョイッと持ち上げて運び上げてくれました。

リビングの1番出入り口の近くのドアで待っていると約束どおり9時に、イエローキャブのスティーブがやってきました、グッドタイミングです。スティーブは私たちがニューヨーク、JFk国際空港到着時に飛行場からここハーレムのアパートメントハウスまで私たちを運んでくれた彼でした。そしてその時、車代金を支払いながらマダムが帰路の予約をしておいたのです。

「いやー、ニューヨークは楽しかったかい???」この人の辞書に多分不愉快などという文字は虫眼鏡で探さなければないのかもと思うほど、気さくで陽気なおじさん運転手さんです。そしてまたまたスイスファミリーのパパさんが私のトランクを持って階段の下、イエローキャブまで運んでくれて、「Thank you so much!」「Have a happy travel」と、スイスのパパさんと日本のおばさんとで堅く握手をしました。

「2020年のオリンピックにはどうぞ東京へ」と言いたかったのですが、なにしろ私の英語力は単語を繋ぎ合わせるだけのことですから……、ためらっているうちにマダムが流暢な発音で言ってくれました。

ウランも車に乗って、私たちも車に乗って、さあいっぱいやさしさをもらったハーレムの街、ゆったりと過ごさせてもらったMS.YORANDAのアパートメントハウスにさよならです。

そして9時45分に予定通り私たちのイエローキャブはJFK空港に到着です、ここで陽気な、そしてとてもおしゃべりなスティーブともお別れです。「2020年のオリンピックには日本へ来てね!」と、ただ単語を並べただけのななえおばさん流英語で躊躇いながら言うと、意味が通じたのでしょうか彼は大きな手で私の小さな手を握って、軽く振って応えてくれました。

チップになるほどのお金がなかったので、持っている小銭を全部渡すと、ニコニコ笑顔で「Thank you」って、「彼って実にアメリカっぽいアメリカ人で、すごーくいい人だったわねー」とマダムが飛行場備え付けの、2人分の荷物がのっている大きな荷物車を押しながら言いました。「ほんとほんと、今回のニューヨークの旅ではすてきな人、グッドな人、そしてかっこいい人とばかりで、これで日本に帰ったらどうかしらねー……、失望だらけかしら???」と私もやや皮肉っぽく苦笑まじりで応えました。

機内預けの荷物は自動チェック扱いだったのであっという間もなくすみました。そして私たちは出国手続きをしてしまいましょうということになってそのゲートに行ったのですが、やはりアメリカは入国、出国はかなり厳重チェックで、といってもいつかのブラジルでの旅で途中ダラスに下りた時のように別室へ連れて行かれるようなこともなかったのですが……、それでも私は出国でも両手の指紋をとられて、ウランのハーネスも外して検査係員のチェックをうけました。マダムたちは靴を脱いで、その靴そのもののチェックを受けたということでした。しかし私たち善良な日本人はなんのおとがめもなく、もちろん日本の善良な盲導犬のウランにも何のおとがめもなく、その手続きは終わりました。

私はこの旅ではエルメスの大きなスカーフを買いたいと、ずーっと貯めておいた小銭入れの苺ジャムの大きなビンから、それなりのお金を持ってきていたのですが、結果的には有名ブランドショップが並ぶ5番街にはエルメス・ショップは見つからずに、またこの飛行場の免税店にもそのショップはありませんでしたので、今回はエルメスさんにはご縁がなかったということであきらめました。それで『ニューヨークポリス』のキャップとチェコレートなどをおみやげに追加で買い求めただけで、マダムがおみやげ探しに行っている間ずーっとベンチで荷物と一緒に過ごしていました。

追加おみやげを買い込んだ袋を抱えて、マダムが私に「これおだちんね」とコーヒーのカップを渡してくれたので、それを飲みながら、なんだかこのコーヒーって薄いねーと言うと、マダムが「それだからアメリカンって言うんじゃあないの?!」と応えたので、「そうか、そうだったのか?!」と奇妙なほど納得してしまいました。

さあいよいよ出発直前のウランの最後の排泄、ワンツータイムです。大きな掃除機を動かして作業をしている人を避けながら、あまり人のいないすみっこでウランの腰にワンツーベルトを巻きつけて「ワンツー、ワンツー」と小声で掛け声を、するとなかなか素直なウランです、あまり時をおかないで腰をかがめてくれました、「そうそう、その調子よ、グッドグッド」といっぱいほめて、ウランの朝起きて4回目のワンツータイムも無事に終わりました、ここから日本まで彼女はひたすら眠る空の旅となります。帰路の飛行機もANAでした、優先搭乗で機内の人となったのですが、帰りの座席は3席使うことができたので、ウランが優しいタイプのお兄さんにすり寄って行く楽しみに遭遇することはありませんでした。

離陸は15分遅れでニューヨーク時間8月14日12時45分、私たちを乗せた機は晴れ上がった晩夏の空を突き抜けて、その翼を大きくひろげて、ニューヨーク上空に舞い上がりました。

”写真021”

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