シャルル・ド・ゴール空港駅待合ロビーは静かで落ち着いた早朝の時が流れていて、やや豪華さには欠けるもののホテルのロビーのような雰囲気でした。
私はソファーのひとつに腰をかけて、そのフランス的の空気になじんでいると、隣のうっちゃんが「ロビーの隅にピアノがあるわ、やはりこういうところがフランスなんだわねー!」とささやきます。
「ここで小さなコンサートでもすることができるのかしら、すてきだわねー。
でもそのピアノ、だれでもが自由に弾いてもいいのかしら?」と、私も小声でささやきかえします。
「そうじゃないかしらねー、ここは自由を重んじる国、フランスだもの」
「それならばうっちゃん、得意なピアノで『ミニミニ、モーニングコンサート』をお願いよ。
朝のピアノ曲が流れる駅待合ロビー、日本から飛んできた女性旅行客、静かに、心をこめてピアノを弾く、それってなーんて、なーんてすてきじゃあないの?!まるで映画のワンシーンみたいだわ!」
私が小声でうっちゃんの耳元にささやきます。
しかしうっちゃんは「やめておくわ!」ときっぱり、たった一言でNO、拒絶、そしてこの会話はそこでおしまいとなりました。
さて空も明るさを増してきたようです、ミセスKがパリ郊外までのデンシャのキップを買ってきました。
「ななえさんのキップは多分不必要なんだとおもうんだけれど、でも自動販売機相手だからたずねてみようがないのよねー、そこにいくと日本の鉄道駅はなんて親切、サービスがよいのでしょうとおもうわねー、いつだって窓口に駅員さんが居てくれるものねー」
そうぼやきながら、それぞれにキップを手渡してくれます、ほとんど日本と同じようなキップでした。
いよいよ今日の行動開始です、「フーちゃん寝ぼけ眼ではダメよ、しっかりお目眼をあけてよ」と言いながら私はフローラのリードとハーネスのハンドルを左手で握りました。
そしてパリ郊外へのデンシャに乗り込みます、早朝のデンシャですので、といっても6時を回っているのですから東京などではすでにラッシュアワータイムなのですが・・・・・、このデンシャが郊外へ向かって走るからでしょうか、意外なほど車内はすいている様子でした。
しかしです、ここが不可解なところなんですが、このデンシャに乗っての記憶が私にはまったくと言ってよいほどに抜けていてないのです。
どうした訳なのかこの旅日記を書くためにここから先のことを思い出そうと懸命になっても、どうしてもひとかけらさえも思い出せない部分が多々あります。
ポッカリと、実にポッカリと穴があいたかのように、その部分だけが抜け落ちているのです。
この不可解さをミセスKにたずねますと、即彼女らしく明確に、実に簡略にその答が返ってきました。
「だってななえさん、それは無理よ、思い出せる訳がないでしょ。
ななえさんは座席に腰をかけた瞬間爆睡状態に陥ってしまっていたもの」
「私の隣は誰が座ったの?」
「私よ」
「そしてフローラも眠っていたの?」
「ううん、フーちゃんはななえさんの足元におとなしくダウンしていたけれど、大きなお目眼クリクリだったわよ。
眠ってはいなかったわ、あっちこっちと眺めていたわね」
「そしてあなたさまは?」
「私ですか?」とミセスKは口元に笑みを浮かべながら応えます。
「そりゃあ眠ってなんていなかったわ、フーちゃんと一緒にあっちこっちと眺めていたわよ」
そこまで聞いて、私は本当にもうしわけなかったという気持ちでにがく笑いながら、
「わるかったわねー、なんだか電車に揺られて腰をかけていると、ついついのことなんだけれど眠気がきちゃうのよねー」と言い訳です。
さて私の記憶がもどっているのはその電車から降りて戸外に出て、セーヌ川のほとりを歩いている、そこからなのです。
セーヌ川のほとりの道をブラブラ歩きながらノートルダム大聖堂へ向かう道でのことです、私が突然言い出しました。
「ねー、ミラボー橋」の歌って知っている? だれか歌ってみてくれないかしら、せっかくセーヌ川の横の道を歩いているんだからさ」
英語教師のミセスKは私は門外漢、しらないわって顔です。
そして二人の現役中学音楽教師のうっちゃんとティーチャー・エミコはというと・・・・・。
「えー、歌ってってって言われてもねー、シャンソンでしょ、急にはむりよー!」と尻込み状態です。
いつもは行け行けどんどんのうっちゃんも、「そりゃーななえさん、無理だわ」と言うのです。
「急に言い出されても、シャンソンって人生を語るんだもの、ハードルが高すぎるわよ」とです。
「えーだめなの?!」と私は口をとがらせて言います。
「だってせっかくセーヌ川の散歩道ですもの。聞きたいなー、鼻歌でもいいからさー」
なおも食い下がる私に、うっちゃんが肩から下げていたバッグをゴソゴソやっていましたが、「それじゃあ、これでどうかしら?!」と取り出したのがスマホでした。
そしてその手元から流れてきたのは・・・・・ すてきなすてきな『ミラボー橋』をささやくように歌うあの曲のメロディーでした。
フランス語でのミラボー橋、そして日本語で歌うミラボー橋の曲が続きます。
私にはこの流れる歌の中に、強い執着と憧れ、そして月並みな下世話な思い出でした
が青春の忘れられない懐かしさがありました。
『ミラボー橋の下をセーヌが流れ
われらの恋が流れる。
私は思い出す
悩みの後には楽しみがくると。。
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ 私は残る。
堀口大学 訳』
私はこの『月日は流れ 私は残る』の潔さがなぜかとても好きでした。
しかしそのなぜだかがこの歌を今ここで耳にして、この道を歩きながら「きっとそうだったんだわ!」と不思議なほど納得できるものがありました。
それはまた新たなる自分史に書き加える発見であり、新たなる1ページともいえるものでした。
『月日は流れ 私は残る・・・・』
繰り返し繰り返し歌われるフレーズ、このセーヌの流れになーんて、なーんてふさわしい言葉なんでしょうか!!!
そう実感、そしてそして微かなる記憶、幻のようなすぐに消えてしまいそうな記憶。
ここに、いつの時だったのかだけれど・・・・、私は居たんでは・・・・。
そんな自分の姿さえも頭に浮かんでくるのでした。
(もしもが許されるならば・・・・)と私はセーヌの流れを見ながら思います。
もしもまた再びフランスを、パリを訪れることができたならば、是非早朝の朝焼けの空の下、私はミラボー橋に立って、この歌を口ずさんで、そして足元に流れるセーヌの朝の川のきらめきを見ていたい。
とうとつでしたが、私はそう思ったのです。
ちなみに日本にもどってきてからうっちゃんと雑談の中で彼女がこう言ったのです。
「あのデンシャに乗る前に時間をつぶした待合ロビーのこと、ななえさん覚えているでしょう?」
「覚えているわ、あそこでうっちゃんピアノ弾いてくれたら・・・・、まるで映画のシーンみたいだなー、そうしたらなんて、なーんてすてきなんでしょうって思ったもの」
私が応えます。
「それがさー、日本に帰ってきて、そして今になってねー ・・・・、後悔しているわけなんですよ。
やっぱりあの時にね、ピアノを弾けばよかったのになーってね。」
言葉の最後ににがく笑顔を作ってのうっちゃんの独白でした。
「じゃあさ、あの時にだったらうっちゃんは何の曲を弾くの?」
私がたずね返します、うっちゃんは眼を輝かせて、夢見るような乙女顔になっています。
「そうねー・・・・」
つぶやき返して、しばらく考えているようでしたが、毅然として一言で応えました。
「やはり『男と女』だわ!」とです。
でも私は密かに決意した今度またパリに行けたら・・・・・。
ミラボー橋でセーヌ川の流れを眺めながら私も『ミラボー橋』の歌を口ずさみたいなって思っているのよなどとは決して告白しませんでした。
なぜならば・・・・。
うっちゃんのピアノ、『男と女』など弾ききるのは、なんてこともなくできることでしょうが・・・・・。
しかし私のミラボー橋を口ずさむのは憧れも憧れ、夢のまた夢、とてもとても手の届かない夢想の世界のことだったのですから。