南フランス・フロバンスへの旅 NO.7 第2日目(8月7日)

セーヌ川のほとりの道を歩き、時々でたらめなシャンソンまがいの鼻歌をフンフンと歌って朝の気配が漂っているノートルダム大聖堂の方へ向かいます。
「朝もやの中で光に包まれている大聖堂、すごーくきれいよ!」
そんな声に誘われて、私もリックからマイカメラをとりだしました。
そしてミセスKの眼を借りながらその光に包まれている幻想的な大聖堂の姿を頭に描いてシャッターを何回かおしました。

それから敷地の中に入りましたが、駐車場の中に観光バスの姿はありません。
歩いての朝の散策観光客もまだまばらで、私たち4人とフローラをいれても閑散としています。
それでも聖母マリアに捧げられた大聖堂の姿は例えようもないほど優美で優しさに満ち溢れていて、ため息がフーッと漏らしたくなるほどでした。

このノートルダム大聖堂の歴史は古く1164年建設が始まって、14世紀には今のこの佇まいが完成したということですから、ほぼ7世紀もの間この大聖堂はセーヌ川のほとりで人間の愚かな営みを哀しみ、マリア様の慈愛の心で慰め、人間の誇り高い喜びと賞賛の中で讃えられての日々を積み重ねてきたのです。
そしてこれからもこの人類の営みが滅ぶまでその慈しみの心で守ってくださることでしょうと思うと、私は自然にその慈愛に満ちたマリアさまにすがって、たくさんの祈りをささげずにはいられない気持ちとなるのです。
「いいわね、この建物の中では絶対にブルブルはノーなんだからね」
私は怖い顔をしてフローラに言います。
そしてなおもしつこく付け加えます。
「フーちゃんはわかるよね、世界中の人たちがとっても大切にしている建物の中に入れてもらうのだから、マナーはまもらなければならないんだよね」
そんな私の顔をフローラは大きな目をますます大きくして、不思議そうに眺めています。
そしていよいよ私も大聖堂の中にフローラと一緒に入りました。
700年もの間蓄積したさまざまな人間の気持ちを吸い取って漂う空気の流れは実に毅然としています。
私の右側にいるうっちゃんからため息が「フーッ」ともれます。
「ななえさん、このステンドグラスの花びらの細工の繊細さ!本当にすばらしいわ!」
そしてまたうっちゃんはフーッとため息をもらすのでした。
「もうそれはそれはななえさん、実に感に堪えられないほどだわー!」
そしてうっちゃんはため息の中でつぶやくのです。
「ほらー、ニューヨークで丘を登って訪ねていったでしょ、セント・ジョン・ザ・デルァイン大聖堂、あそこのステンドグラスは、このノートルダム大聖堂の、このすばらしいステンドグラスを模写して作ったんですって」
うっちゃんのその説明で私は思い出しました。
あの暑かった、異常に暑かったニューヨークの一昨年、8月のウランと一緒に出掛けた旅をです。
コロンビア大学キャンバスの近く、とにかく丘を上がって、上がって、本当に上がって逝って、これじゃあ天国に近づくんじゃあないのと内心ぼやきながら盲導犬のウランとハーハー荒い呼吸をしながらとにかく上がっていったその丘の上にそびえていた大聖堂をです。
私たちは裏道を上がって行ったのですが、半周回ってその正面玄関から見下ろしたニューヨークの街々の展望を、大都市ニューヨークがまるでガリバー旅行記の小さくおもちゃの街のように広がっていた光景をです。
「考えようによってはアメリカってあらゆることに貪欲で、あらゆることに大きな国なんだわね」
私は感動に酔いしれているうっちゃんにささやき返します。
「なにしろ世界からすばらしいものを自国にひっぱってきて、臆することもなくそれを自国の文化にしてしまうんだから、いかに肝っ玉が大きいか、いかに心臓に毛がはえているかってことよね」
うっちゃんが隣で「うんうん」とうなづき返しました。
 ノートルダム大聖堂から私たちとフローラは中庭に出て、感動の余韻を楽しみながら佇んでいると、突然朝もやの中から日本語で話しかけられました。
「みなさんは日本の方々ですか?」
「そうです」
「じゃあこのワンちゃんは日本の盲導犬?」
「そうです」
私はにこやかに応えます。
フローラも「ここにも日本人!!!」とばかりにしっぽを彼女特有の扇風機振りで応えています。
この日本人の小柄なおじさまはしばらくパリに滞在している旅行者で、この近くに宿泊部屋をもっているので、毎朝のようにセーヌ川のほとりを散歩、ノートルダム大聖堂を訪れているのだとのことでした。
「あなたたちは大正解でしたよ、今少し時間が後ろにずれていたら・・・・・、どこもかしこも観光客だらけ、大聖堂もゆったりとした気持ちでという訳にはゆきませんからねー」
小柄なおじさんが言っているそばから何台もの大型観光バスが駐車場に入ってきました。
昨年のプラハではかなりな頻度で街の中で日本の観光客に出会いましたが、今年のパリではやはりテロを恐れているのでしょうか、あまり日本人観光客と出会うこともありませんでした。
 セーヌ川のほとりを、先ほどとは逆コースを歩いて行きますとお土産物屋さんがオープンしていて、その中のひとつのショップの中に私たちは入りました。
店頭にまるで手で描いたかのようなセーヌ川のほとりからノートルダム大聖堂を描いたスケッチ画がぶら下がっていました。
私には頚椎損傷で車いす生活の友達がいます、彼は20代のころ夏のプールで飛び込み台から水面向かって飛び込んだ瞬間頚椎に異常を、その時から首から下に感覚がなくなってしまったという人なのです。
そして時々聞く話に、その最後のダイビングの寸前に見上げた夏空はすばらしいほどの晴れで、その時に彼は思ったんだそうです。
「なーんて今日の空はこんなにきれいに晴れ上がっているんだー!」
この話を聞くと、私も都立身体障碍者センターの中庭で、生まれて初めて白い杖で歩いたあの日のことを思い出します。
訓練入所当日、最初に行ったことは、白い杖を持たされて中庭を歩くことでした。
そこを恐る恐る歩きながら見上げた東京新宿の夏空、もちろん見えない目で見つめた空だったのですが・・・・、やはりなーんてきれいな青空なんだろうかと思ったのです。
あきれるほど広くて、遠くて、限りないほど明るく輝いていると思った記憶が蘇ってくるのでした。
その彼のためにこのスケッチ画を1枚買いました。
それからノートルダム大聖堂の中のステンドグラスは写真撮影不許可だったので、絵ハガキのそれもやはりおみやげに何枚も買うことにしました。
そこに小さな財布型小物入れを4個加えて支払った金額13ユーロ、これを日本円に換算するならば1ユーロ123円のレートとしてABOUT2000円程度でした。
私のお財布係りのウッちゃんが言うことには、フランスの絵ハガキはとても鮮明できれいなのに無類に安くて、1枚20円程度だったと言うのです。
アラブ系のとても愛想の良い男性店員さんに見送られて、私の最初のフランスみやげ買い物は終わりました。
 セーヌ川沿いの道から少し入ったところのカフェがオープンしていて、まだお客さまの姿はみあたらない状態でした。
「ここでブランチタイムとしましょう」とミセスKの声がかかって、腰痛持ちの私は(ああ、やっと腰をおろせるわー!)と、思わず「はーい!」とうれしさいっぱいで応えます。
オープンカフェの歩道に向いたテーブル席を囲んで「コーヒーが飲みたいわー!」と言ったり、「やはりパリだからミルクいっぱいのカフェオレじゃあないのー!」と言ったり、実に平和なひとときです。
クロワッサンかフランスパンが焼きあがったのでしょうか、とてもバターの良い香り、こんがりとしたパンの香りが漂ってきます。
ああ、ここはパリなんだって、臭いで実感する、「これもまた目の見えない人間であるが故の楽しみなんだわー!」と思います。
メニューから私はハムとチーズのクレープ、そしてコーヒーと水代わりのオレンジジュースをえらびました。
スイスを旅した時かつて私の故郷のA中学校で英語教師を数年勤めたレアさんと出会いました。
彼女の案内でフランス国境と隣接したニューシャテルを訪れました、そこでランチに食べたクレープと同じ食事用のものです。
私以外の人たちはクロワッサンのサンドイッチセットを頼んだようです。
そのテーブルに散らばるクロワッサンのかけらも、足元にこぼれたクロワッサンのかけらを、街の雀がついばみにきているのです。

「あらー、フランスの雀さんはおしゃれなのねー!」とティーチャー・エミコの感心したこえがはずんでいます。
「だからまるまる太っているスズメなんだわ!」ともティーチャー・エミコは笑いながら言うのです。
「そうなのね、雀さんはお顔がまんまるなのね」
童謡のメロディーで歌うように言うと、それだけでもおもしろくてたまらない気分に私もなってきました。
そして顔マンマル、雀を頭の中に連想していたら『ふくら雀』という言葉を急に思い出しました。
かつて子供時代ふくれっ面をしている私に父が「なんだ、ふくら雀みたいな顔をして?」とからかったものでした。
雀はしばらくテーブルから床に落ちたクロワッサンやフランスパンのくずをついばんでいましたが、その少し大きなかけらを口ばしにはさんで、どこかへ飛んでいってしまいました。

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