プラハ滞在最終日はすばらしく快晴の朝です。
しかしそれだけに気温は低くて夏服だけでは首元がスースーで風邪をひきそうです。
誰もが昨日までの遠足気分の装いではなくて、それなりにおしゃれな出で立ちでアパートメントハウスの玄関ドアに集合でした。
私も今夜の豪華なデナーまではキラキラ石のついているスカーフをうっちゃんが貸していてあげるというので、昨日のちょっとおしゃれないでたちにアクセントをつけて、かわいらしいドレス姿のウランと歩道に立ちました。
とにかくカレル橋は朝早くにゆかないと観光客だらけになるはずだからとこの旅行、総責任者・ミセスKが言うので、モルダウ川を見ながら私たちはカレル橋を目指してひたすら歩きます。
ドイツ語では《モルダウ川》、しかしチェコ本来の名前は《ヴルタバ川》、なぜこのふたつの名前を持たなければならなかったのか・・・・・。
それは国と国との政治的駆け引きと思惑、人間と人間との利害をかけた陰謀とエゴ、戦争が及ぼしたつらい過去のさまざまな出来事を秘めているチェコの悲惨な歴史があるからなのです。
しかし川の流れはただただ美しく、淡々と、そして静かに多くを語らず、それらを秘めながら朝の光の中できらめいています。
カレル橋のたもとにスメタナさんの銅像が佇んでいました。
チェコの国民は《交響曲・わが祖国》を作曲したスメタナさんはやはり手放しで英雄、讃えるべきわが国の偉人なのです。
しかしアメリカ大陸に渡って《交響曲・新世界》を作曲したドボルザークさんは、一回は祖国を捨て去ってアメリカにわたった人、再度もどってきたとはいっても結果的にはそういう人物評価なのです。
ミセスKがガイドブック片手にカレル橋とその欄干を飾っている彫刻象の説明をしてくれています、それも観光客の間を縫って歩きながらとても優雅ですてきにです。
そのミセスKに着いて私たちはぞろぞろ歩きます。
「うーんかっこいいわー!
なかなかなものだわねー!」
私はウランにささやきます。
その説明よりミセスKのその姿にほれぼれとため息がでました。
橋の真ん中あたりに行列ができていてここはパワースポット、欄干の聖人の像に手を
触れるととても強烈なパワーがその指先から体内に聖霊なエネルギーとして入ってくるというのです。
「ねえねえななえさん、これに触るといいわ!」とうっちゃんが、やや日ごろの苦境にくたびれ気味の私に少しでも強烈なエネルギーを入れてあげようと、とてもお勧めなのです。
「だめだめこんなにおチビさんなんだからさ、無理よ。
誰よりも足が短いんだからー!」
飛びつくほど跳躍力はないと尻込みするおばさんの私をテーチャー・えみこが「だいじょうぶまかせておいて」とにっこり微笑んで言うのです。
「私がななえさんを抱き上げてあげるから」と。
そして抱き上げられた私の手をうっちゃんがのばすだけのばして、「さあどうだろう!」とでしたが・・・・・・、抱き上げる方も、抱き上げられる方も大騒ぎで肝心な聖霊なるエネルギーが指先に触れたか触れないうちにお互いに力つきて、おしまいとなりました。
きっと人間の情の優しさがなによりの聖霊となって、私の体内に大きな力を蓄えてくれたことだったでしょう。
「だいじょうぶよ、私は雪国生まれの打たれ強い女、逆境を跳ね返すはずだから」
それからあれーと思います。
あらためて思えば、ここに居る誰もが《雪国生まれの女》だったのです。
そうか、だからみーんな強いのね、だから誰もが相手の強さも認め合うだけの余裕があるのねと、個性の強い面々の顔、顔を新鮮な気持ちで見渡したのです。
カレル橋から仰ぎ見れば小高いところにプラハ城の姿が、神聖ローマ帝国時代、たくさんの偉人を乗せた馬車が、威厳のある装いの王様、貴賓のあるお妃様、端正な装いの王子様、優雅に着飾った王女様を乗せた華やかな馬車が、この橋を行き交って、あのプラハ城に向かって行ったんだわと、はるかはるか昔の光景を思い描けばたちまちロマンティックオレンジカラーになってしまう、極めて単純な日本の亀戸おばさんでした。
橋のたもとのカフェに立ち寄って、私たちは《10時のティタイム》となり、「ケーキがおいしいわねー!」と言う人、「プラハはビールもおいしいけれどデザートもなかなかなものだわ!」と言う人、とても賑やかに話がはずみました。
ティータイムが終わった後、ここでひとまず解散、自由行動となります。
《のんびり組み》の私たちはカレル橋の近くにある公園でしばらく寛いで散策、ウランもゆっくり、ゆったり気分でワンツータイムをしました。
眼を細めて風を眺めれば、つい「秋だわねー」と言葉がもれて、快晴の空のもとで私も、ウランも、こうして初秋のプラハの空気を満喫しました。
そこからトラムに乗って旧市街地広場に、そこにはたくさんの大道芸人が集っているとのこと、まずサックスを吹いているおじいちゃん芸人を見つけました、この中で1番目だっていましたので・・・・・。
この彼は旧市街広場ではとても有名な芸術家で、自身の絵葉書を持っているのだということです。
そしてサックスを奏でている最中、突然それを唇から離して歌を歌い始めるのです、その声がまことにしゃがれていて、この広場の雰囲気にピッタリ、とてもすてきなのです。
ここにある有名な天文時計をとうっちゃんは12時になるのを待っていましたが、とにかくこの時計の周辺は観光客がいっぱい、誰もがその12時のからくり時計の状況を写そうとシャッターチャンス狙い、誰もが思うことは同じなんだねーとさすがのうっちゃんもこれでは良い写真は撮れないわとあきらめました。
今回の旅で幹太から頼まれたおみやげは《手作りチェスの駒ひとつ》です、そんなお店があるのかしらと思いましたが・・・・、ありました、ありました。
それも手作り木工細工物が並べられているちょっとおもしろいお店でした、鉛細工の飾り物お人形さんも並べられていました、もちろんこちらの品々も手作りのようです。
うっちゃんだけがお店の中に入って、私とウランとでショーウィンドを外から眺めていますと、まだ若いお店の店員さんが「うっちゃんに英語で話しかけたのです。
「この方に、このお人形を触らせてさしあげたいのですが・・・・」
見るからにナイーブな彼、とても恥ずかしそうです。
そして彼は5センチメートルほどの鉛の人形を、恥ずかしそうに私の手の平に乗せてくれました。
幹太からのリクエストのチェスの駒は全て手作りだけれど、しかしセット売りで、たった1駒売りはしていないとのことでした。
そこで私は幹太のためにプラハ城を護衛している兵隊さんと同じようないでたちの鉛の兵隊さんのお人形をひとつ買い求めました。
それにウランと一緒にほぼ日常的に通う喫茶店のマスターへのおみやげに、いろいろな変化をするとてもおもしろい木で作ったお人形も買い求めました。