東欧・プラハへの旅 NO.16 第4日目

 私たちがアパートメントハウスの最寄駅でトラムを下りたころには、ほぼ雨が上がっていました。
いつものカレル公園の中を横切ってアパートメントハウスに向かうのですが、雨で湿気を含んだ風がそよそよと髪の毛をそよがせて、その感覚がまたすてきで新鮮、楽しいものでした。
「こうして雨が降るたびにプラハは少しづつ秋に、そして厳冬へと季節が移っているんだよね」
「日本はどうかしらねー、あの暑さ、まだまだ夏真っ最中かしら?!」
「そうじゃあないの、だってまだ8月お盆前だもの、暑くて、暑くてだわ」
そんな会話を交し合いながら、私たちは、鼻の頭に汗ひとつ浮かべることもなく、木々の間を通り抜ける風を楽しみながら、公園の中の道を歩いて行きました。
 アパートメントハウスに着くと、既にショッピングモール組はもどってきていました。
かなこちゃんが買い物をしてきた物を広げていたので、「彼へのおみやげは買ったの?」と私はたずねます。
「あらー郡司さん、私このプラハは失恋旅行なんだよ、日本を出てくる寸前に私の恋は終わってしまったの」
「へー、失恋した人がそんなにスナック菓子をもりもり、パクパク食べるものかしら?!」
私はついつい笑いながらたずねました。
「ちがうよ、それとこれは別物」
かなこちゃんがきっぱり言い切ったので、私はますます笑ってしまいました。
「そうね、また新しい恋をすればいいんだものね」
「あら、そんな・・・・・、やはり失恋の痛手はつらいのよ、だからもうしばらくいいわ」
「だいじょうぶよ、かなこさんが世界の誰よりも好きですと言ってくれる彼がきっと現れるからね」
そんな会話をしながら、テーブルの上に広がっているポテトチップを私もつまんで食べました。
生き生き、のびのび、そしてマイペース、20歳のかなこちゃんは来春早々ANA職員として空港勤務となるんだそうです、その二十歳の精神も、肉体も、実にのびやかで、若さが溢れています。
私にもこんな時期があったかなーと思い、そうそうあったわねーとも思って、いつでも彼女の様子を眺めながら自分のかつてのその時代を懐かしく思い出すのです。
 風邪気味で体調が悪いというミセスKが留守番で残ると言うので、私とうっちゃんは《壁の中の聖マルティン教会》でのコンサートに出かけることにしました。
「ななえさん、少しおしゃれをしてね!」とうっちゃんに言われて、私はあわてて
トランクの下に入れてきた夏のブラウスを引っ張り出して、襟元をうっちゃんから借りたピカピカ光物のついているスカーフで飾りました、そして最後の仕上げとして、コロンをほんの1滴左腕にたらしたのです。
目指す教会は私たちの宿泊しているアパートメントハウスから歩いてもほんの十数分、ショッピング街の真ん中にあるということですが、朝散歩に出て立ち寄ったミセスKによると、いりくんでいて、それに古い教会だからショッピング街に埋没しているみたいで、なかなか探しにくいところだったわということでした。
しゃれたショッピングビルの広場にフランス・カフカ(FRANZ KAFKA)の巨大なモニュメントがありました。

ドイツ語で作品を書いたと言うカフカはこのプラハ生まれでユダヤ人街で育ったのだということです。
「変身」の作者、最近村上春樹の「海の上野カフカ」で若者たちにも知れ渡ったカフカです。
カフカの大きな顔がスティールで造られていて、それがゆるやかに回転するたびに変身して何回かそれを繰り返してまた元の形にもどるという趣向なのです。
たくさんの観光客がこのモニュメントに群がって、夕暮れの空を背景にカフカの変身模様をカメラでおさめていました。
それほど広くもないショッピング街を迷って、迷ってやっとたどり着いた《壁の中の聖マルティン教会》は「これが本当に教会なの??!!」と思うほど洞窟のようなたたずまいでした。

創立1187年ということですので現存するプラハの教会の中で1番古い建物ということになりますが、今は教会としてこの建物が使われているわけでもなさそうです。
コンサートチケットを買って、中に入ると壁に彫り文字があって、それが手で触っても摩耗して読み取れない部分が多いのです。

宗教弾圧を受けたころの教会環境を物語るような文字とも絵ともいえないものが石の壁に彫ってありました。
おおよそ900年前、この教会に集っていた信徒たちは何を願い、何を祈っていたのでしょうか。
そんなことを思っていると・・・・、背中に何かが這い上がってくるような気配、耳元でごそごそ、ゼーゼー、ゴニャゴニャと数千万人、いやいやもっと多くの人たちでしょうか、話しかけてくる声、それが波のように押し寄せてくるのです。
この日は宗教曲、合唱曲のコンサートでしたが、それを聴いていても何十世紀もの前野人たちの魂が私に何かを訴えてくるような気持ちがして、なんだか落ち着かないのです。

以心伝心でしょう、足元のウランも時々私を見上げて不安そうな面持ちです。
「ななえさん、お手洗い ここで用をたしてにする?」
うっちゃんの声に私は強く首を振って、「ねえ、早くここをでましょう、なんだか私胸苦しいもの」と言って、うっちゃんの手を強くにぎりました。
教会を後にショッピング街に出てきた私たちは、しばらくウィンドショッピングを楽しみながら、あっちのウィンドを眺めて、こっちのウィンドを眺めて、そして夕食を食べましょうということになりました。
すでにうっちゃんが教会を探しながら目をつけていた《レストラン フサ(FUSA)》にはいりました。
とても雰囲気の良い店内で、もちろん盲導犬のウランも大歓迎してくださいました。
それになんといっても対応してくれた若いウェートレスさんの感じがよくて《壁の中の聖マルティン教会》でおしつぶされそうになってしまっていた私の気持ちもやっとここで寛ぐことができました。
 お料理もおいしかったけれど、なによりビールがとてもおいしくて、うっちゃんと音楽の話に花を咲かせながら食べて飲んで、そしてまた食べてと楽しいひとときを過ごしました。

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