東欧・プラハへの旅 NO.15 第4日目

 私たちが入ったそのカフェはヤナさんお勧めのお店で、《プラハガイドブック》にも載っているものでした。
だから私のよく通って行く亀戸の喫茶店とはやや雰囲気が違っていました。

窓からのロケーションは雨にけむる町並み、モノトーンの色調でまとまった店内に流れる静かな音楽・・・・・。
その中に身をゆだねていると、私を苛んでいた煩わしさから全て解放、なんだか眼の前にあった現実からは遠く、はてしもなく遠くに居るような気持ちがしました。
なにより出発までのあのブルーに落ち込んでしまった気分、あわただしかった日々、気持ちを奮い立たせようとすればするほど萎えてしまう気持ち、こんなことでチェコまでウランと飛んでいけるんだろうかと、旅装を整えながら不安で心細くなってしまう私の気持ち、その頼りなさにますます落ち込んでいくあの悪循環の日々・・・・。
出発前のあらゆる出来事を思い出せば、ここでコーヒーを飲んでいることが不思議でならないのです。

まるで夢みたいだなーと、いつもの癖で両方の掌をジーッと見つめてしまいます。
今は《全て事はケセラセラ、なるようになる》だと思えるのですから、これも《東欧プラハの魔法》なのです。
だからまたまた日本に帰国すれば、《待って居ましたー!》と押し寄せてくるでしょう難問など、その時はその時の考えだからと、どこか心に重く受け止めて、またそれを対応していけばいいんだから、《どうにでもなるわ!》という気持ちでした。
向かい合わせのテーブルに私とヤナさんが座りました。
彼女の日本語はとてもすばらしいもので、なかなか完璧です、外人特有のアクセントの違和感もほとんど気になりません。
数年前、娘さんとヤナさんは日本を訪ねて、あちらこちらに旅をしたということでした。
「とても日本語がおじょうずです、日本を旅してもほとんど困ることはなかったでしょう?」
平凡な質問だなーと思いながらも、私はたずねました。
「いいえ、とてもとても日本語はむつかしいです」
彼女はとても知的な微笑みをうかべながら言いました。
「やはり日本語はすごく奥が深いと思うんです、古典などはまったく理解できませんもの」
「あらー、私だって源氏物語だったり、枕草子だったりはとてもとても理解しきれないところが、恥ずかしいほどいっぱいありますよ」
苦笑しながら、私は自嘲気味に応えます。
「ただ古典文学に触れて、その美しい日本語の表現に感動したり、その優雅な風景描写や鋭い人間観察などに感心する、それが精いっぱいですよ」
そう言ってから私は声を潜めて言葉を続けました。
「あのね、ほとんどの日本人はその程度の古典文学の理解なんですよ」
そしてヤナさんと私は微笑みながら、小さくうなづき合いました。
彼女は富士山に登った時のことを懐かしく話てくれました。
しかし私は富士山は遠くから眺めているだけの山だったので、彼女の話をただ聞いていました。
「すばらしい!!!」とヤナさんは何回も何回も言葉を連ねて富士山の優美な美しい姿をたたえてくれます。
《でも日本では富士山は遠くからその美しさを見ている山という評価ですよ》
私はまたまた苦く日本の恥部を笑いながらさらけだしたのです。
ヤナさんはプラハ城に入るのにお金を収集するのはナンセンスなことだと思うと言うことだったので、私は日ごろから思っている《平等に誰もが負担しなければならない物、そして管理していかなければ歴史の継続はありえない》ということを話ました。
「プラハ城はその財貨で管理してきたから今でもとてもきれいに温存されているけれど、それをしてこなかった富士山は、実際にその山を踏みしめると汚さだけが目についてしまうということなのではないかしら・・・・」
コーヒーカップを手に持ったヤナさんは深くうなづいてくれました。
「高野山にも、熊野古道にも行きました」と言われた時、私はやっとウランと歩いた場所が話題になって、とてもうれしくなりました。
それで勢い込んで「私もウランもそのどちらも訪ねましたよ」と言って微笑みます。
「高野山は歴史はすごーいけれど、あそこはやはり造られた宗教的歴史文化の地のような気持ちがしました」と私は率直に味わった感想を言いました。
そしてすぐに「それに比べて熊野古道は本当にかつてここを行き交ったでしょう旅人の姿が、今でも木陰から見えているような気持ちになりますね、真夜中には修験者たちがこの野原を飛び交って修行をしていたんだわと実感できて、うっそうとした木立にも、下草などにも、とても歴史を感じることができてよかったです」と言いました。
「そうですね、熊野古道は手の入っていない歴史文化を感じますよね」とヤナさんはその私の感想に共感してくださったので、とてもうれしくて、私は何回も大きくうなづき返しました。
「このプラハで盲導犬を拒否した場所がありましたか?」とヤナさんがたずねます。
「ええ、プラハ城の黄金小路の中に入ることと、やはりプラハ城の向かい側の丘に上がったところにあった古いカトリック図書館はウランは入れてくれませんでした」
するととても申し訳なさそうに「そうでしたか!」とヤナさんが言いました。
そこで私は「でもこちらプラハはお国がらでしょうか、比較的盲導犬をやさしく受け入れてくださるようですよ、イタリアではバチカンさえ盲導犬でも犬だから、ダメだと言いましたから」とあわてて、気の小さな私はとりなすように説明しました。
日本びいきのヤナさんはお家では《秋田犬》を飼っているとのことで、そのかわいらしさを、日本犬がどれだけ従順であるかなどを静かな声で話します。
彼女は声が小さくて、そしてとてもゆっくりと、落ち着いた声音の持ち主です。
「数学教師のヤナさんは学校で生徒のみなさんを叱るなんてことはあるんですか?」
いたずらっぽく私がたずねると、おもしろい質問ねーとばかりに小さな笑い声をたてて、「それはね、時には叱りますよ」と言いました。
明日のマラソン競技にエントリーしているという彼女と喫茶店のドアを出たところで、「さよなら」しました。
私たちが遅いランチをとっている間に、雨はすっかり小雨模様になっていました。

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