時々病院の帰り道に立ち寄って花を眺める花屋さんの店先に心動かされるちいさな植木鉢を見つけました。
《テーブル・木瓜の木》と書いた紙がついて、小さな白い花が咲いていて、すてきな喫茶店でコーヒー1杯程度の値札がついています。
かなり顔なじみになった花屋のお兄さんが、「木花ですから来年も、次の年も、大切に育てればまた花を楽しめますよ」と、笑顔で言います。
かつて私が育った雪国高田の家の前庭、隣との境目近くにこの木瓜の木があって、まだ雪囲いの中なのに、沈丁花の花とこの木瓜の花がまず咲き始めて、『春告げ花』でした。
だから「欲しいなー」と思います、しかしその上に「でもなー」とためらう心が重なってきます。
2021年の春はとても衝撃的な事件勃発から始まりました。
肩を落として、人生最低、最悪、こんな事があるんだわと思わされました。
そしてこの木瓜の花が毎年私の見えない目を楽しませてくれたならば、私はいつも今回の事件も思い出す事でしょう。
そんな気持ちで迎えなければならない毎年の春は悲しすぎます。
「今回はちょっとだけご縁がなかったかしら。」と、笑顔の花屋のお兄さんに応えながら立ち去る事としましたが、それでも後ろ髪を引かれる思いが私の心の片隅に残りました。