東欧・プラハへの旅 NO.3 第1日目

 予定出発時間9時50分。
ほぼ満席の乗客を乗せた《フィンエア・AY72便》は、その出発時間から10数分遅くれで成田国際空港を離陸、しばらく落ち着きのないフラーッと空中を浮かんでいる雰囲気を漂わせていましたが、やがてそのタイミングを掴んだかのように一気に上昇、新潟方面の上空に向けて、翼をひろげて飛び出して行きます。

私たちは三列の席で私が真ん中、右の窓側にミセスKが、左の通路側にうっちゃん、そして足元にスッポリとおさまるようにウランがダウンしました。
水平飛行に入ってドリンクサービスがはじまりました、私とうっちゃんは迷うことなく赤ワインを、そしてミセスKはこの旅の総責任者、その責任感からでしょうかアルコールなどとんでもないということでアップルジュースでした。
ウランはというと・・・、すでに熟睡体制に入っています。

ドリンクサービスがそれぞれの小さなテーブルの上に運ばれたころ、ちょうど新潟上空を飛んでいたのですが、台風5号の余波にここで遭遇、機体がクウーンと上がったり、クイーンと下がったりと上下にゆれ始めて、ドリンクサービスも途中で一時中止、私たちはテーブルの上のコップをしっかり手で抑えて、足元のウランのところにひっくり返らないようにです。
そんな揺れがしばらく続きましたが、そのワインを飲み終わったころ今度は食事のサービスがはじまりました。
鶏肉料理は無条件でパスの私は、ジャガイモを崩して野菜などと少し混ぜあったところに味のよくついた牛肉、なんていう名前の料理だったのでしょうか、それを食べ始めました。
なにしろ飛行機に乗る前におにぎり1個食べただけだったので、食いしん坊の私は「おいしい、おいしい!」の連発でのはずだったのですが・・・・・、今回はそういう訳にはゆきません。

食べながら自分の胃袋のあたりに違和感を感じました、それでも全てデザートを含めて食べて、食後のコーヒーも飲んで、さあ少し眠りましょうという気持ちになったころ、体の中のエネルギーが全て頭の方へ上がっていって、頭から汗が吹き出して、どうしたのかしらと思うほど首から、顔から流れました。
そして胃袋とお腹の違和感がますます重くのしかかってきて、抗いがたいほどに気分が悪くなってきました。
さあ大変です、私の体が緊急事態発令をしているのです。
あわてふためいてトイレに飛び込みました、機内通路はとにかく真っ直ぐですし、緊急を要する状態、自分が目の見えないことさえ忘れてといったあわてぶりです。
この飛行機はエコノミークラスは満席ということでしたが、幸いなことにトイレは誰も入っていなくて、間一髪、滑り込みセーフ、胃袋の中のものを吐き出します。
その後も座席から3回通路をひたすらトイレに一直線に通って、嘔吐を2回、下痢を1回繰り返しました。
《どうしてこう私ってどじイ女かしら!!》という自己嫌悪、やや気分は落ち込みます。
でも内臓もすっきり、気持ちもすっきりとなったところで体が少し温かくなってきて、いつもの元気がもどってきました。
するとまたまた本来の単純で自分に甘い性癖がもどってきて、すぐにスラーッと《プラス思考」へ思いは移行です。
そして肉体的にも、精神的にも、緊張感もゆるんで、「いやいや、待てよ!!」となるのです。
「飛行機の中とは言いながら、この大空を浮遊しながら体内から余計なものを外へ排泄するだなんて、なーんて贅沢な行為でしょうか!、なーんて雄大なる事でしょうか!」と思ったのです。
でもその後、数時間後の機内サービスの「アイスクリーム」も半分ほどでおしまい、そして着陸2時間前のパスタ風の食事も半分ほどでスプーンをおきました。

そんな状態の私に、「どうしたの?」と、不思議そうにうっちゃんが覗き込んできます。
「あのね、・・・・」と私は突然体調がおかしくなった事を、トイレに3回も滑り込みセーフで通った顛末を話して、「でもすっかり落ち着いたからだいじょうぶなんだけれどね、でもちょっと胃袋を休めてやった方がいいかなーとね」と話します。
「あれー、ちっとも知らなかったわ、具合が悪かったら言ってくれればよかったのに」と、うっちゃんはあくまでも優しくて、面倒見のすこぶる良い人なのです。
後でわかったことなのですが・・・・・。
私たちより後方の、よりトイレに近い座席に座っていたティーチャー・マユミはすでに、新潟上空で機体が上下に激しく揺れたことで、ベルトサインが着脱許可になるやトイレに駆け込んで、しばらくトイレ通いで、搭乗前の成田空港で食べた《てんぷらうどん》を全て排泄処理をということでした。
「なーんだ、先輩はいたのね!!」と私は仲間が居てくれたことに気持ちはホーッとで、思わずの微笑みです。
ちなみに今回の旅、女8人の中で私とうっちゃん、それにティーチャー・マユミの3人が横幅の違いは多少あるものの、背丈はそろって《ショート・タイプ》なのでした。
そしてこのティーチャー・マユミはかつて《夢見る少女》がそのまま年齢を重ねてきたみたいというような雰囲気の人で、ピアノのすごーい弾き手の持ち主です。
私が《六十歳の手習い》でピアノを始めたことを話して、「月に2回レッスンに通っているんだけれど、なかなか上手にはなれなくて、ピアノのふたを私が開くと、それを見ていたウランが「ああ、またまたお母さんのへたくそピアノがはじまるわー!」と他の部屋に逃げて行ってしまうほどへたくそなのよ」と嘆くと・・・・。
「そのうちにうまくなるわよ」と実に彼女らしい応えが返ってきました。
「そのうちにねー・・・・?!」と、もう《そのうち》がそれほどいっぱいの余裕の無い私、思わずここでもまたまたのにが笑いでした。

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