ニューヨークの旅 No.15 第4日目・8月12日(金)

アメリカ資本の有名な某保険会社ビル、その玄関広場に設置してあったフランスからの贈り物だという銅像『自由の女神』の前で、『自由のおばさんポーズ』で写真におさまった後、中国のエリート青年とさよならすることになりました。彼は「ボクはきっと将来偉い人になるぞー!」「ボクの未来は中国の輝く星だー!」この濃厚なる気配を私たちに残して風のように立ち去って行きました。そして私たち日本のおばさんも、「全身におりこうさんを強く漂わせている中国青年の未来に、洋々なる前途が有りますように」と祈りながら、また前を向いて歩き始めたのです。

「さあ、冷たいものを何か飲みましょう」と気持ちは焦るのですが、そして暑い中を一緒に歩いているウランのことを思えば、もっと気持ちは焦ってたまらないのですが……、このニューヨーク1の目抜き通りは歩けども、歩けども、汗だらけの旅人が気軽にヒョイッと入って行けるようなカフェはどうもなさそうなのです。

「うーん、あそこもちょっと敷居がたかいかなー!!」とマダムの試案声が繰り返し続いて、私たちはどんどん5番街から4番街と歩き続けて行きました。

「あそこならきっとOKよ、入りましょう!」マダムが毅然と言い切って大通りを向かい側に渡りはじめました。「やれやれ、やっと見つかって、ああ、よかったー!」と、私も、ウランも、思わず歩き方がルンルンになりそうでした。

お店の中に入ると、一瞬にして体からスーッと暑さがどこかへ飛んでいってくれます、自然は荘厳で厳粛、すばらしいけれど……、でもやはり文明の力とはすごいものだなーと、そして都会で快適に生活するためにはやはり自然だけに拘って日々を過ごすことなどとてもできないなーと、しみじみ痛感させられる一瞬です。

入ったお店はそれほどくだけた雰囲気ではなさそうでしたが、それでもかなり気軽な気持ちで過ごせそうな店内、しかしそこは全てテーブルはカウンター式で、私たちは立ってドリンクを、あるいは軽食をとらなければならないのでした。腰痛に悩まされている私は、いつもはお店に入るや「どこか座る場所がないかしら?!」と椅子を探すのですが、この際はたちんぼうでもいいわ、だって喉はカラカラ、そしてこの汗ですものねーという気持ちでした。

ショップのきれいなウェイトレスのお姉さんが早速「ワンちゃんにいかがでしょう?」とお水の入った器を運んできてくれます。「わー、うれしいー!!」ウランはハーネスを外すや、その器に突進、水をおいしそうにガブガブと一気飲みです。

そして私たちはというと、このお店は単なるカフェではなくて、レモネードで有名な所のようで、いろいろな味のレモネードがあるのでした。「そうねー」と迷いながらも、ここはさっぱりとレモン味がいいかなーと、それを注文しました。しかし運ばれてきたそのレモネードのあまりの酸っぱさ、カラカラの喉にその酸っぱさが張り付いて思わず咳こみそうになってしまいました。だから喉は乾いてカラカラなのに、その冷たいレモネードはどうも喉ごし良く食道に、そして胃袋へと入り込んでいかないようです。

「このワンちゃんにこれはどうかなー、食べさせてはだめかなー?」と声をかけてきたのは、少し離れたカウンターに居たオジサマ風の男性でした。彼が大事そうに手に持ってきたお皿にはチーズパニーニ、イタリアのチーズサンドイッチがのっていました。

『うーん、OK!OK!!たべたいよー!!!』私の足元におとなしくダウンしていたウランなのに、瞬時にむっくり起き上がります。ウランの顔がそのサンドイッチに強く強く注がれて、前つんのめりになりそうな気配です。私はあわてて「OH NO! NO!」と。マダムは優雅に、イングリッシュで丁重に、彼女は日本の盲導犬であることを、今は旅の途中であることを、そして盲導犬のお仕事中ですから決まっているもの以外は健康維持のために食べさせられないことなどを説明して、お断りをしてくれました。

「QUITE BEAUTIFUL DOG!」その説明を納得、納得というように大きくうなづいて、「本当に美しい犬だねー!」と、感動のため息まじりの言葉を残して、彼は後ろ髪をひかれる思いを漂わせながら、チーズパニーニの入ったお皿を持って自分のカウンターのところに戻って行きました。

「ななえさんの目が見えていたら、きっとほれぼれーとあのおじさんの顔を眺めるわよ」マダムは笑いながら言うのです。「へー、そんなにイカス、ダンディーマンなの?!」「そうねー、日本ではあまり見かけないような……、少なくともななえさんの愛する上越市では、あんなあか抜けてダンディーで、すてきなおじさまなんて……、いないんじゃあないのかしらー!」マダムは笑いながら言うのです。

ちなみにこの会話で出てきた上越市とは新潟県上越市のことで、私が生まれ育った高田市が平成の大合併をしてできた新しい市の名前なのです。

「あのおじさまは雰囲気的にはイタリア系アメリカン、アメリカ人かなー、あの年齢でピンクのシャツを着てね、それがまたとてもグッドなほどお似合いなのよ。鼻筋がスーッと通っていて、それは立派な、高い鼻なの、それにあのブルーの瞳でしょ、ジーッと見つめられてごらんなさいよ。ななえさんだって想像しただけで胸キューンじゃあないの?!」「そうかねー……」この夏で71歳になったばかりの私、気分的にはまだ乙女心を忘れてはいないつもりでも未亡人生活も23年目となって、すっかり胸ときめくとか、胸キュンなんてほど遠い感覚になってしまいつつありました。それで頭の中で像を結びます、えーと……ブルーの瞳、鼻筋が通って、立派に高い、そして上品でシック、それでいながらピンクシャツがとてもお似合い……。酸っぱいレモネードをチビリと飲んで、思いを巡らせてみましたが……、少しも私の胸などときめくこともなくて、キューンと動いてくれる気配さえありません。

「そうかなー……」また同じ言葉をつぶやいて、私は小首をかしげます。「でもさ、そんなイカス、イイ男じゃあきっとタイプじゃあないわね。だって私は俳優でいうならば、シドニー・ポアーチェが好きだったんだもの、ぜんぜん違うでしょ」「へー、ななえさんって若いころインテリ黒い人がタイプだったの?!」「そうよ、あのどこか寂しげで哀愁が漂っていて、どこか心の底では人を寄せ付けない、ああいう人がタイプだったのよ」「へー、今のななえさんからは想像もできないわ、わからないものだわねー!」「女ざかりが過ぎてさ、おばさん年齢が重なると、異性の好みもまた変わるものなのよ、私のこの年齢になれば、マダムだってきっとわかるわよ」あまりに私がきっぱりと言い切ったので、マダムは思わず苦笑を、そして私は照れ笑いで「あははー!」と笑い、お互いをその笑いで見つめるのでした。そしてその酸っぱいレモネードをチビリチギリと飲みながら、「どうして年齢を重ねると異性への思いや、好みも変わるのか」を分析しながら、しばらく男性談議に華やかな会話をつづけました。

ウランはというと……、あのチーズたっぷりサンドイッチのチーズパニーニを逃したのは惜しかったなーと思いながら眠りについたのだったでしょうか、私の足元で水をたっぷり飲んだし、ここは涼しくて気持ちがよいし、なーんて極楽なんでしょとすっかり熟睡模様でした。

さてここから地下鉄の駅まで後どれくらい歩くのかを、そして途中で乗り換えて116駅まで行くか、それとも乗り換え無しで116駅まで行くことにするかを私たちは酸っぱいレモネードをチビリチビリと飲みながら話し合いをしました。

地下鉄の閉ざされた空間の中で暑さをかみしめるより、戸外でたまには微風も吹いてくるのだから歩きながら乗り換え無しの駅まで行った方がずーっと良いということで、私とマダムの話し合いは終わって、そしてちょうど私たちのレモネードのグラスも空っぽになりました。

セントラルパークを右に見ながら、といってもそこは石の塀が張り巡らされているのでパークの中を覗き見るなどはできないのですが……、あれもトランプさんのビルだわ、あらーこっちもよと、回りにあるトランプビルを1つづつ品定めしながらおばさん2人とウランは歩きます。

「もしかしてもしかしてこんなお金持ち不動産屋のトランプさんが大統領になったら……、アメリカだって貧乏人はいるでしょうに、その人たちの気持ちがはたしてわかるのかしら?」「不動産王でお金持ちだけれど、そもそも政治家でもなかった人が大統領候補にどうしてなったか、そこがアメリカの問題部分だわねー」などと私たちは自分の思い思いのことを勝手におしゃべりしながら、それでもクリントン夫人がはたして大統領になったら……、世界は女の時代がくるのかしらと語り合い、そしてイギリスを背中に背負って雄々しく立ったサッチャー夫人のように、彼女はこのアメリカ大陸を牛耳ってゆけるものかどうなのかと熱く語り合い、暑い中をテクテクと歩くのでした。

「ここがちょうど真ん中よ、後半分大丈夫???」足を止めたマダムが心配そうに尋ねます。「あらー、もう半分なの?!」私は「あらまあ、ずいぶん短い距離なのねー」と半分は思いながらも、それでもやけくそ気分の苦笑で応えます。「それならもう半分、ソラ行けどんどんでいっちゃおうか?!」などと景気よく掛け声を掛け合って歩きました。

59丁目駅・コロンバスサークル・ステーションの地下に入る階段のところで、やはりロッカーが独りでギターを奏でながら酒焼けのしぶい声でロックを歌っていました。「暑いのにご苦労さん」という気持ちで、立ち止まることはなかったけれど、そのしゃがれた声に彼の人生を滲ませている歌声を聴きながらウランと地下への階段を下って行きます。そしてやっと戻ってきたのは116駅です、私たちの宿のある街に戻ってきたのです。

「ねえななえさん、あのメキシコのお店あるでしょ、あそこに寄って何か冷たい物でも飲んで帰らない?」とマダムが言い出しました。私の頭に冷たい物、ビール、シュワーッと広がるアワ、それを飲み込む時の喉ごしの痛快さ……、「ああ、いいわねー!」と思わずすばらしく快心の笑みが浮かびます。

「さあ、行こう!!!」と気分はルンルンです。なーんて単純な女かしらとわが身を笑いながら、でもこの暑さですものねーと自分に言い訳もしているのでした。

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