ニューヨークの旅 No.16 第4日目・8月12日(金)

「あー!ビールがこの喉を通過していったら、どんなにさわやかな……」そう思えばとにかく単純なおばさんのこと、すぐに精神的にも、肉体的にも、元気復活、足取りも軽く116駅の階段を上がって、まっすぐ歩いて、十字路の信号を渡れば……、『メキシコ料理の店・セクシータコ』というお店はあるのです、「そこまでのこの喉の渇きだから」というわけです。

ところがお店は軽やかなメキシコの音楽が流れていたものの、『ただいま準備中』ということで、「オープンはまだですよー!」と断られてしまいました。

すごすごとお店を出て、左に歩いて行けばあと100メートルもなく私たちが宿泊しているアパートメントハウスに着くのですが、その100メートルあまりの道程の遠かったこと、遠かったことでした。

「まあいいじゃあないの、冷たいお水でも飲みましょう、MS.YORANDAが炭酸の水をいっぱーい冷蔵庫に入れてくれているから、それでも飲めば少しはスーッとするわよ」マダムは慰めてくれるのですが……。そしてウランも『そうだよお母さん、忍耐が大切だよ!』と、私を見上げて慰めてくれているのですが……。あまりにガッカリした私の足は鉛の靴を履いているかのように重くて、おぼつかない足取りだったのです。

玄関を入ればそこが大きなリビング、エアコンで冷やされた清潔なお部屋、ソファーもいっぱいあって、どこでドターンと横になってもOKでした。「ほら、ほら」と、マダムが冷蔵庫から出してくれた炭酸水をグラスいっぱい飲み干して、さあいつまでもたった1杯のビールのために気持ちを落ち込ませてはいられません。ずーっとあの暑い中を私たちと一緒に歩き続けてくれたウランのまずは夕食です、それに水もたっぷり飲ませて、ワンツーもしなければなりません。

ウランをリードだけにしてMR.YORANDAご自慢の庭に出ました、空を見上げれば夏の夕暮れ時の空気が漂っています。しかしそこに微妙に2016年の秋が、それも生まれたての秋が忍び込んでいる気配がありました。

「暑い、暑いと言いながら、夏は終わりにきているよ、ほらウランみてごらん、雲が少しモクモクから空に広がっていって薄く、薄くなっているでしょ」しかしウランはと言いますと……、『雲?!お母さんわたしは雲なんかよりもさ、ねむいんだよー!』といった様子でした。

「ななえさんはそこのベッドで横になっていていいわよ、時間になったら起こしてあげるから」マダムが言ってくれたので、着替えを済ませて人心地ついた後、あのキングベッドで横になって目をつぶりました。季節の巡りというのは不思議なものだなー、切り目がなくて夏から秋へ、秋から冬へ、そして冬から春へ、また春から夏へと、切り目などまったくないのに、いつの間にか移り変わっているのだから、これってやはり宇宙の神様が大きく介入しているってことなんだわねー……。などととりとめもなく思っているうちに……、ススーッと眠りに入っていったようです。

「ななえさん、いきましょう!」とマダムに起こされるまで、まったく何も知らないで1時間30分の熟睡というか爆睡というかだったのです。私とウランとが眠っている1時間30分の間にマダムは今日のお金の精算をして、ノートにつけて、買い物をしてきた私の分もタックやら値札などをハサミできちんと取り外しを、そしてたたみ直しをしてくれていたというのですから、本当に申し訳なかったわねーとただただ恐縮しきりのおばさんとなりました。

そして私たちは軽やかな足取りで、それでも「お腹が空いたよねー」と言いながらアパートメントハウスからほど近い、信号のすぐ前の『セクシータコ』に向かいました。

お店はすでに酔客でにぎやかです、道路からちょっとしたエントランスコーナーにも、何台ものテーブルが出ていて、そこにもお客さんたちがおしゃべりをしながらメキシコ料理をつまんでお酒を飲んでいました。

私たちが店内に入っていくと……、「ありゃー!」といった雰囲気が一瞬漂って、すぐに「あのー、外でじゃあダメかしら?」とお店のスタッフが尋ねてきました。マダムが毅然とした言葉で、「盲導犬と一緒に外でですって、私たちは日本から来た観光客です、それは無理じゃあないかしら?!」と応えます。もちろんMS. YORANDAが言うように、とても治安は良いのですが、でもここはやはりハーレムの街角、居酒屋です、外でお酒など飲んでいて、足元にダウンさせているウランがなにかの拍子に事件に巻き込まれては、それこそ一大事です。店長のような男性があわてて出てきて「さあ、どうぞ!」と言うようにお店の奥のテーブルに私たちの場所を作ってくれました。

「ななえさん、ビールよりメキシコのお酒、モヒートを飲んでみない、さわやかで美味しいわよ?!」「えー、メキシコのお酒ってモヒートっていうの、それってどんなお酒なの?」「あのね、ミントの葉っぱがいっぱい入ってくるのよ、それをストローの先っぽでつつきながら飲むの、ななえさんならきっと病み付きになるかもよ」とマダムが笑いながら言います。「それいいわねー、ビールなら日本に戻って行けばエビスビールからサッポロビールまで、いつでも飲めるから、じゃあモヒート、それにしようかな」「ここはMS.YORANDAがお勧めのお店のひとつだったから、きっとお料理もおいしいわよ」ということで、私たちはメニューを見ながら、あれはどうだ、これはどうかとさんざん思案して2種類の料理を注文しました。

「このセクシータコという店の名前は、セクシーなタコ料理というのではなくて、タコス料理の美味しいお店という意味なんだそうです、これもMS.YORANDAからマダムが早速仕入れた情報でした。

「それじゃあタコス料理を頼みましょうよ、それにしてもタコスってどんなんだったっけ?」「トウモロコシの粉で作ったクレープ状のものの中にいろいろな食材を包んで食べるのよ、今まで食べたことなかった?」「なかったわねー、メキシコさんとは今までお近づきのお付き合いはなかった人生だったからねー」「それじゃあタコスの他にホウレンソウのバターソテーのようなものを加えて、モヒートを飲む、これにしましょう」

外食とは食べる前にあれを、これを、それをと注文の品々を決める、ここにも楽しみはあるものなのです、そしてやっとその楽しみのひとときも終わって、私たちは注文をだしました。私はモヒートというお酒も初めて、タコス料理も初めてだったので、好奇心いっぱいでそれらが運ばれてくるのを待ちました。

「ななえさんのお隣のテーブルに就いている男性、2倍は体重がありそうよ、体の幅はほぼ2倍だもの、もちろん背丈もグーンと比べようもなく高いんだけれどね」「うっそー、そんな大きな人がいるだなんて考えられないわ」「お相撲さんみたいよ、黒い人なんだけれど……、でも目がとても優しそうなの」「へー、象さんみたいに細いの?」「そうそう、笑うとなくなっちゃうほどね」「それに向こう側の壁際に座っている黒い彼女なんだけれどね、すごーい美人だわ!。でも髪の毛はまるで坊主頭なの、それがまた着ている洋服も含めて、すごーくセクシー、キュートでかわいらしいわ!若いけれどとてもすてきねー!」「そしてその自分がキュートであるってことを充分に意識している?」「そうそう、きっとそうだわ、身のこなしなんて、とってもすてきだもの!」「このお店には、やや生活に疲れたおばさんなんていないのね」「そうねー、メキシコってやはり活動的な雰囲気の国だから、生活に疲れたおばさんはこんなところには出てこないんじゃあないのかしら」

そんな会話をしているうちに私たちのテーブルにモヒートが運ばれてきました。グラスというよりビンみたいなグラス、そこにヒョーッとストローが飛び出しているのです、このストローで中に入っているミントをつぶして、お酒と一体化しながら飲むのです。

「かんぱーい!」「女3人のニューヨーク旅行にかんぱーい!」

そして、「どれどれ」と私はストローでビンの中をドンドンつついて、ひと口ストローで吸い上げました。「あらまー、なーんてさわやかな!!!」口の中いっぱいにお酒とそのミントのさわやかさが広がって、涼風が口の中から喉を通過して胃袋へ広がっていきます。

「なーんて美味しいんでしょ!!!」思わずつぶやく私に、マダムはわが意を得たりと「ね、そうでしょ、ななえさんの好みでしょ?!」と微笑むのでした。

運ばれてきたタコス料理も食べてみました。トウモロコシの粉で作ったというものに野菜の味噌油を絡めたみたいなものを包んで口の中に入れると、今度はおいしさが口の中から喉を通って胃袋へ落ちてゆきます。

「まあ、なーんて幸せかしらねー!」そんなことを言いながら、ホウレンソウのバター炒めのようなものもパクパク口に入れて、モヒートをグイと吸い上げて、「うーん」とため息です。

「いいわねー、ここはニューヨークのハーレムの街角、洋風居酒屋でさ、飲んでいるお酒はモヒート、そして食べているものはメキシコ料理のタコスだなんて、「おばさん、世界も狭いわねー!」って感じだわ!」そうこう言いながらモヒートをおかわりして2杯目となりました、タコスについてきたピクルスのようなニンジンがありました。

「ななえさん、このピクルス食べる?」「うん、ピクルスなら大丈夫、ましてニンジンだったらよけいにOKだよ、ビタミンAさんいらっしゃーいって気持ちだわ!」私はすでに酔い心地満点、そしてその小さなニンジンのひとつを口の中に放り込んだのです。ところがドラマはそのとたんから始まりました。

口の中いっぱいに火がついたかのようにカーッとなって、私の目は白黒、頭に熱状の細い線が先の尖った棒でつつきまわして、その上飛び跳ねてもいます。これはピクルスに間違いはなかったのですが、ニンジンがサルサソース(唐辛子の酢漬けソースのようなもの)に漬け込まれたもので、とにかく大辛だったのです。

「あらー、どうしましょう、これって単なるピクルスじゃあなかったのねー、ごめんなさい、ななえさん大丈夫?」マダムはここに出しなさいとばかりにティッシュペーパーを広げて、指先でトントンと叩いてくれていますが、それを出したとしてもこの口の中いっぱいの辛さは消えていくはずもないので、私は潔く、「いやーここまで!」とばかりに喉ゴックンで飲み込みました。それでも舌べろが燃えるように熱いし、しびれるような感覚です。

「ここここ、この氷水入りのコップに舌べろを突っ込んで、早く冷やさないと火傷みたいになったら大変よ!」さすがのマダムも慌てふためいています。私もはたと思います、「そうだわ、大切な舌べろが火傷みたいになっちゃったら、美味しいものも食べられない、美味しい飲み物も飲めない、これじゃあ東京に戻っても地獄みたいな日々だものねー」と。何故か不思議なことに、私の頭はこんなことは素早く計算が回るのでした。だから迷うこともなく、みっともないとためらうこともなく、その氷水入りコップの中に自分の舌べろを突っ込みます、そしてやっとやれやれのため息でした。

「わー、ごめんなさいねー、でも大丈夫?」「ねえ、写真なんて撮らないでよ、こんな場面が写真になっちゃったら、証拠写真で後々までも大笑いじゃあないの!」と、少し余裕を取り戻した私でした。本来あのニンジンピクルスはほんの少々、一口づつ食べるものだったんだそうですが、それを一気に、小さなニンジンだったので一気に食べたから……、口の中が火事状態に陥ってしまったって訳でした。

しかしこのお店で使っている香辛料サルサソースはやはり本物でした、だからまがい物と違っていつまでも舌べろにいやな辛さは残りませんでした。氷水ですぐに冷やしたのも効果があって、やがてすっかり辛さも抜けて、その後の食事も美味しくいただけたのですから、ドタバタ劇はあったもののやはり幸せな夕食でした。

そしてウランはというと、そんなドタバタがテーブルの上で広がっているとも思わずに、私の足元にすっかり熟睡状態でした。

”写真016”

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