なんとかマダムとグリーンキャブのおっちゃん運転手との会話が通じ合って、無事に私たちは地下鉄Eライン・キューガーデンズ駅で車を降りることができました。メーターにチップを加えたお金を支払って、地下鉄に乗った後で、「あのおっちゃんがね」とマダムがおもしろくてたまらないというように笑いながら話ます。「私の英語力もさすがに中学現役英語教師のミセスKのようなわけにはゆかないけどね……、でもSUBWAYをサビーっていうのよね、それがさ田舎の言葉で寒いことってさびいって言うじゃあないの、昔の人たちってね、それを思い出しておもしろくて、笑っちゃいそうだったわ」。
「そうそう、そうだったわ!」私は街の子で育ちましたが、高田もちょっと田舎に入ると、おじいちゃんやおばあちゃんたちは日常会話で寒いはさびーって言っていたことを思い出して、うなづきながら大笑いをしました。そして、「さびーねー」と言ってから、「今の現実のこの暑さよ!!!」とも嘆くようにオペレッタのような口調で言ったのでした。
地下鉄Eラインをレキシントンアヴェニュー駅で乗り換えて、私たちはユニオンスクエア駅で電車を降りました。
階段を1階分上がって地上に出てきました。見えない私の瞳にも眩しいほどの太陽の光が溢れます、それはもう真夏の昼間の太陽で、たくさんの輝く矢の束がぎらついて、全身を刺し貫いてくるのです。駅前のすぐ近くに歴史的に古い、そしてニューヨーカーのガイドブックには出てくるショップ、『COFFEE AND BAR』に迷うこともなく一直線で入りました。
帰国するには一番心配だったウランの書類には無事に公印が押されました、本当にこれでやれやれだわの気持ち、それになにより体の芯までカラカラに乾いてしまったわーの気持ちです。だから2人とも何のためらいもなく「BEERを」とオーダーしました。それからランチとして私はフィッシュバーガーを、マダムはターキーバーガーを注文しました。
「フィッシュバーガーはおいしいけど、ターキーはバサバサしてないの?」心にひっかかっていた心配事、ウランの書類ができた解放感がついつい言わずもがなの言葉を私に言わせてしまったのでしょうか、不用意な実にしてはいけない質問をしてしまいました。
「うん、モッツァレラチーズたっぷりだからおいしいわ!」マダムはそれから私にからかうかのように笑いながら言うのです、「少し食べてみる?あげようか」と。私が絶対に鶏肉は食べない、精神的アレルギーがあるからということを知っているのです。「いらないいらない!」とやや顔をひきつらせて言うと、マダムも「あげないあげない」と、笑いながら歌うように言いました。
私の子供のころ過ごした高田は、雪国で、雁木の町で有名なところです。かつてまだ幼稚園に通っていたころ、クリスマスが近づくと雁木の町(がんぎのまち)高田では、肉屋の店頭に何羽もの鶏が首うなだれて吊り下げられていたり、店頭に置かれた囲いの中に七面鳥が所在なさそうにいました。首うなだれた鶏の姿、金網の籠の中でウロウロしていたターキーの首のダブダブしていた皮膚の皮を思い出すことは私にとって禁物です、まして食事の前にそれを思い出すなど最大禁物なことです。だから今にも「およよー!」とげんなりとなってきそうな私でした。
「いやー、もうだめだわー!」とつい言いそうになる私に、「大丈夫、大丈夫よ、ビール飲んで、もっといっぱい飲んでもいいのよ」とマダムです。「切り替える、切り替える」と大あわてで私は自分に呪文をかけます、しばらくすると気持ちがススーッと落ち着いてきました、ヒヤーッとした感覚になった顔にも暖かさが戻ってきたようです。そして私の様子が落ち着いたころに、「食事はやはりイメージの世界だからねー」とマダムは慰めてくれるかのように穏やかな声音で言うのでした。
少し遅めのランチタイムですが、評判のお店だからでしょうか、そんな時間になっても混み合っていました。それに雰囲気は上場、なによりエプロン姿のウエイトレスさんがとびきりキュートでかわいらしいんです。「あれだけチャーミングで美人さんだったら……、日本ではすぐにモデルさんかタレントさんにスカウト、名前が出て評判の彼女になれるわー!」と、マダムが絶賛でしたから。
その彼女が器に水を入れてにこやかに近づいてきました。「あのー、ワンちゃん喉が渇いていないでしょうか?」と、ウランにも気遣ってくれるのです。そしてウランも、その水をとてもおいしそうにごくごくと飲みました、日ごろ炎天下の下を歩いてもそれほど水を飲まないウランなのですが……、やはり彼女も美しくて、チャーミングなお姉さんが好きだったのでしょうか。それともアメリカ的この猛暑は日本のそれとは微妙にウランの体には『ちがうなー!』だったのでしょうか。
私のフィッシュバーガーはとても大きくてびっくりです、お皿に添えてあるポテトフライもまたたっぷりで美味、BEERも立て続けに2杯も飲んでいますので、半分も食べればお腹がはちきれそうです。さすがにこのバーガーは半分だけで、後はナプキンでお持ち帰りとしましょうと言いました。マダムもターキーバーガーをやはりお持ち帰りのようでした。それでもこのお店で1時間以上の時間をゆっくり過ごさせてもらって、涼しさで癒されて、冷たいビールとおいしいハンバーガーで癒されて、大満足の私たちはまた夏の太陽ギラギラの戸外に出ました。
駅前広場を横ぎって、文房具のまとめ買いができるショップがあるというので、そこに入って、土産物を物色することにしましょうとなりました。食事の後はショッピングです、でも中国のおばさんに間違えられないように、上品にそれなりに爆買に店内を階段を上がって行ったり、あっちへ、こっちへとうろつき歩き回りました。
街の中の小さな広場、公園でしばらく木のベンチに腰をかけて涼をとっていると、この中をやたらに歩き回る人たち、やはりこの場所にもポケモンGOを探し回る人たちです。どこも同じだわねーと日本で私たち目の見えない人にぶつかって来るポケモンGOの人たちのことを思い出して苦笑してしまいました。
「あらー、あれーリスよ、こんなところに野生のリスが居るのねー」とマダム。「近づいてきたわ、こっちにくるのよ!」マダムは期待いっぱいでカメラをかまえてウランとリスのご対面を撮ろうとしています。昨年のカナダでは実にタイミングよく撮れた1枚がありました、しかし柳の下にドジョウは2匹いないの例え話どおりに、やがて「あれれー、ウランちゃんにびっくりして逃げていっちゃったわー!」と、がっかりの声となりました。
ベンチで隣に腰をかけていたニューヨークのお姉さんにウォールストリート駅の行き方をマダムが尋ねて、私たちはまた公演のすぐ下にあるユニオンスクエア駅から地下鉄に乗りました。今回のニューヨークへの旅で私が唯一だした希望は現地の教会に行ってみましょうということです。その1番目に訪れる教会、これが今日訪ねて行くトリトニィ教会なのです。ここでは3時30分くらいまで聖堂でクラシックコンサートを開いているとの情報もあります、どんなコンサートなのか、プログラムなどもわかりませんでしたが、とにかく行ってみましょうということだったのです。しかし私たちがウォールストリート駅から地上に出てすぐの教会に入った時には残念ながらそのクラシックコンサートは終わっていました、聖堂にはまだ荘厳なれども華やかさの音の余韻は残っていたものの、すでに集まっていた人たちの姿はありませんでした。
その聖堂でしばらくの間私は木の椅子に腰をかけて心静かに黙想しました。ここはプロテスタントの教会ですが聖公会系だから東京でいうならば立教大学系列だと思うのですが……、とすると祈祷書などは節がついて、歌うように唱えていくのではと、まだ高校生だったころ聖公会の教会に通ったことのある私はそんな教会の行事のあれやこれやを懐かしく思い出して、ステンドグラスの天井を見渡したりもしました。そのステンドグラスから差し込む光をとらえて、もしかして会心の1枚とカメラのシャッターを切ったのですが……、やはり人間無心な邪気のない心が大切ということだったでしょうか、東京に戻ってよーく見てもらったら少し手振れが出ているとのことでした。その写真を見てくれた人が「これはななえさんの心の動揺が微妙に出たんじゃあないの?!」と笑っていましたが……、私は内心謀に愚かなるものは無いというからねーと忸怩たる思いがちょっぴりの苦さで心に広がりました。
教会から出て少し歩くと、そこは世界の経済を司るウォール街、たくさんのビジネスマン、ビジネスウーマンが行き交っています、そしてその人たちは一様にこの暑さの中をビジネススーツを着込んで、かなりな急ぎ足で歩き去るのです。
「まあ、あのスタイルではずいぶんな暑さでしょうにねー……」と気の毒に思うほどですが、しかし世界の経済がここで発信されるという自負がそうさせるのでしょうか、誰もが背筋をピーンと伸ばして、前をきちんと向いて、駆け抜けるようにして私とウランの周りを通り過ぎて行ってしまいます。
そしていよいよ胸が迫ってくるものを感じはじめました、かつての世界貿易センタービルの跡地、グランド0が近づいてきたのです。そこは祈りの場所、私たちも頭を下げて深く、深く、たくさんの御霊に祈りをささげました。悲しさ、哀れさ、せつなさ、嘆き、苦しみ、呪い、毒づき、そしてあきらめ……。とても胸に迫るものの強さ、それは突然に失われたたくさんの人たちの命の叫びだったのです。しかし1人の人間の力などとても受け止めきれるものではとうていありませんでした、というか……、私などの度量ではいたたまれずにこの場に崩れ落ちそうな気持ちでした。それに耐えられなくて、それを受け止められなくて、私たちも長い時間をそこで過ごすことはとてもできませんでした。
祈りをささげて、気持ちをとりなおして、また炎天下の下を濃い影を作りながら私たちは次に乗る地下鉄の駅目指して歩き出しました。ただフワフワと歩いてはいけないという思いはありました、だからこの大地を踏ん張って、みなさんの悲しみを叫びを受け止めて、乗り越えて、それでも私たちは未来を信じて、平和を求めて、歩いて行くわの気持ちだったのです。