プラハ城を背中にして私たちは坂を下ってから、また別方向に向かって坂道を上がって行きます、このプラハ市内は東京で言うならば谷底に街が開けた渋谷の街のような地形をしているようです。
すり鉢状の谷底の平地に一般庶民の日常の生活があって、そこには移動の足になってくれるトラムも、地下鉄も、かなりいくつものコースに分かれて走っています。
商店街も、ショッピングモールもあって、市民が生活するには事かかないといった一般的な都市の日常生活が繰り広げられている場です。
そしてそこからあっちこっちと坂道を上がって行くとチェコという国が辿ってきた喜びも、苦難も沈黙の陰に秘めて、ただ歴史を遺して佇んでいる建物や古い教会、遺跡があるのでした。
椎間板ヘルニアと脊柱管狭窄症で腰痛に悩まされている私は日ごろからスポーツセンターに通ってプールウォーキング、筋肉トレーニングにウォーキングマシーンと鍛錬を続けている、その賜物(たまもの)だったでしょうか、10歳以上若いみなさんの後ろを追いかけて、時には先頭を切て、ウランとそれなりの持久力を保って、この坂道を上がって行きます。
でも呼吸だけは「ハーハー、ハーハー!」とで、心臓はドキドキ、ドッキンと波打っていましたが、なんとか途中休憩もとらずに、歩くこと30分ほどで目的地《ストラホフ修道院》に到着でした。
「ほー、はー、つかれたよー!」
二十歳のかなこちゃんだって悲鳴なのですから、私などはひっくり返りたいほど疲れたよーでしたが、そこは《見てくれ勝負》のこのおばさんのこと、小さくふーふーと息をして、荒い呼吸をあわてて整えます。
いつもマイペースのウランは、「なーんだ!、だらしがないなー!」とばかりに、私とかなこちゃんをチラッと見たのがなんとも《憎いあいつ!》でした。
この修道院を併設している教会は12世紀半ばには木造で建てられたのですが、今現在の建物は17世紀のものということです、ただ関係者以外は入所厳重禁止教会となっているようでした。
しかし夕暮れのこのひとときは教会関係者のオルガンの練習をの時間帯だったのでしょうか、戸外に居る私たちにもそのメロディーが聞こえてきます。
オルガンの奏でるメロディーを聞きながら私とウランは教会の建物の裏側に回って、そこで腰にベルトを着けてワンツーをさせました。
この間、ミセスKは隣のカトリック図書館、ここは世界で指折り数えるほど美しい建物の図書館だそうです、その建物中のしっくい天井の美しさとガイドブックにはあるということですが・・・・、ここに盲導犬を入れてもらえるかどうかを窓口で交渉してくれていました。
しかしほどなくして、こちらににがく笑って小首を横に振りながらミセスKはもどって来ました。
そして「だめだー! 交渉不成立、頑として受け入れてくれる様子はまったくなし。ウランもうしわけない、ここは入れないんだよ」
嘆くように言います。
「いいのよ、だめなものはそれは感情の問題、美しい言葉を口にしていても、心の貧しさをそれだけで露呈していると本人が気づかない限りは、だめでいいんだから無理することはないわ!」と私はいいました。
「そうね、ななえさんの言うとおりだわ。
人間の本当の心根の貧しさってどんなにかくしていても、そういうところでわかっちゃうものなんだよね」とうっちゃんもきっぱりとあいづちをうって応えました。
「私がウランとここで残って一休みしているからさ、ななえさんはうっちゃんと一緒に図書館へ行っていいわよ」
ミセスKの好意を、私はありがたくもらって、うっちゃんとその頑として盲導犬だって入所は認められないと言い切ったという窓口係りの男性を片目でチラリッと見て、その前を通りすぎて館内にはいりました。
そこには世界的に珍しい中世カトリック教会の資料が所蔵されているということでしたが、私にはその書庫の中にはまるで興味はなかったし、漂うカビくさい匂いにたまらない嫌悪感を感じました。
それでも片隅にあった売店の中に入って、かわいらしいエンジェルの小さなお人形さんをおみやげに買いました。
ちなみにこれは後でわかったことですが、ウランがワンツーをした修道院のオルガンは、あの短い人生の中でたくさんの曲を作曲した《天才・モーツアルト》がたまたまこの教会に立ち寄って、たまたまこのオルガンを弾いた、そのものだったんだということです。
「ウランはやっぱり違うわ、たいしたものだわ!」
中学校音楽教師うっちゃんは、「あのモーツアルトさんが・・・・!」と、ただただそれで感激、感動です。
「さすがにモーツアルトさんがかつて、かつてでも弾いたオルガンの音色だもの、それを聴きながら排泄をするだなんて・・・・、そういう盲導犬は世界中でたった1頭、ウランだけだってことよ!」
うっちゃんはあまりの驚き、あまりの感動のためにハイテンションでつぶやくのでした。
私とミセスK以外はここからまだ歩いて、ミセス・ハルミが紹介してくれた、《手作りおもちゃ屋」を訪ねておみやげを買うために行くのです。
それで私たちはここでひとまず別れて、ミセスKと先回りをして近くの居酒屋さんに入りました。
いずれここでおもちゃ屋さん組みと合流することになっていましたので、私たちはこの夕暮れのひとときをお酒を飲みながら口におつまみをで、のんびり気分で待っていればいいだけのことです。
居酒屋といっても客席はオープンガーデン、そしてピアノの演奏が入っているという雰囲気はなかなか《しゃれた》ものでした。
私たちはもちろんプラハといったらビールよねーとまずビールとおつまみになるサラダ、ジャガイモやら、ソーセージ料理などを注文します。
そして運ばれてくるや「かんぱーい!」と二人で気炎をあげます。
私とミセスKとはうっちゃんの紹介で数年前に出会ったのですが、でも実際に初対面の場所にはそのうっちゃんはいなかったのです。
そして出会った瞬間、二人の口から同じ言葉がとびだしました。
「えー!はじめて会った人だなんて、全然思えないわー!」とです。
ミセスKがおぎゃあと誕生したころ、私はまだ視力もありましたし、建設会社で技術屋として勤務して、当時は伊豆の下田の某保険会社保養所建築現場に《現場図面係り》という仕事で1年6か月ほど常駐勤務をしていました。
そのように二人の年齢は母娘ほど離れているのですが、でも私たちはその年齢差を物ともせずに、仲良しの友だち、気の合う友だちになったのです。
1杯目のビールがススーッと体内にはいりこんで、「次はメニューにスペシャルビールの記(しるし)のあった、そのビールにしようよ」とすぐに意見は一致、またまたそれが運ばれてくるや、高らかに「かんぱーい!」でした。
飲むほどに話は盛り上がって、お互いに喋り回して、笑い合って、しかし《いっくらなんでもどうしたのかしら、遅いわねー》と言うことになりました。
「あの人たちどうかしちゃったのかしら?!」と、この旅行の総責任者のミセスKはやや心配顔です。
「ねえここから出発したでしょ、私たちは左に来たけれど、あの人たちは右へ行ったじゃあないの。
おしゃべりしながら歩いて、歩いて、そうしたらきっと言うのよ、《どこかで道をまちがえたんじゃあないの?!》ってね。
それからやっとお店を見つけて、《まあうれしい!》、《ほーら見てごらんなさい、あのかわいらしさを!》、《すてきねー!》そうやってまたみんなでうるさいほど盛り上がるでしょ。
それからどれにしようかあっちがいいかこっちがいいかとすごーく迷って迷って、でもやっと《こっちがいいわ、これにするわ》とお金を払ってから、またお店を見回して、それから思うのよねー、《やっぱりあっちがよかったかなー、あっちにしようかしら!?》とね。
そして《取り換えてもらおうかしら?!》とまたまたそこで迷うのよね」
私がまるで見てきた人のように、その様子をおもしろおかしく解説すると、ミセスKの顔も同じように笑み崩れて、「そうそう、そうだわ!」とばかりに大きくうなづくのです、そしてまた二人で大笑いをするのでした。
私の足に体を寄りかからせて、「グースー、グースーと、先ほどから熟睡ウランだけが口をモグモグさせています、なにかおいしいものの夢でも見ているのでしょうか。
「そのあっちがよかったかなーって迷っている人、だれだかわかるわよ!」とミセスKはまるで笑顔、ノリノリの気分で言います。
「わかるわかる、きっとあのテーチャー○○さんよねー」
私もまるで大きな口をあけて大笑い、やはりのりのり気分です。
その時です。
「遅くなっちゃって、おもちゃ屋への道がわからなくなってしまってさ、ちょっとてまどっちゃったのよねー」という声で6名の人たちが「わー」っと私たち二人のテーブルを囲んで、「ねえ、なにをそんなに笑っているのよ?!」と一気にテーブルの周りはたくさんの笑顔です。
心臓どっきんと跳ね上がったのは私も、ミセスKも同じです、眼は白黒、ひっくり返るほどびっくりぎょうてんの巻きでした。
後で二人で「あの時具体的な名前を言い合う前だったからよかったわ!」、「そうそう危なかったわねー、滑り込みセーフでよかったわねー!」とひそひそ言い合って、そしてさもおもしろくてたまらないとばかりにうなづき合いながら、「クスクス」と忍び笑いをしたのです。
全員集合となった後、とても楽しい酒盛りとなって、私はベネズエザ産のダークラム酒、アルコール度数45度というものを一口だけ飲みました。
ねっとりと甘くて、口に含んだ瞬間「あれー、ベネズエラだわねー!」と言いそうになるほどベネズエザでした。
ちなみにプラハ到着、最初の夜に宿泊しているアパートメントの近くの居酒屋さんで飲んだビール以外のものは、《デヘロフカ》というチェコで200年ほど前から定番となっている薬草入りのお酒でした。
だからこちらは同じくねっとり甘かったのですが、でも薬草が入っていただけに、なんだか《ありがたい気分》になって、自然に頭が垂れておじぎをしたくなってきそうな、そんな飲み心地のお酒でした。