新・愉快なおばさんたちの集まり

 ☆「伊豆高原へ」 6月24日(土曜日)

 「愉快なおばさんたちのつどい」では平成17年久々に新年会をひらきました。
1月半ば過ぎての「女正月」、東京駅のすぐ近く丸ビル内のレストランで、その日のお天気は晴天なれども寒風のとても強い日曜日、しかし八街おばさんとハイジさん以外は全員集まって、近況報告やら、新しい都市を迎えての夢やらを楽しく語らうことができました。
ランチタイムを過した後に迷って入ったビルの中、ひとフロア全部使った博物館では、動物たちの骨が展示、みんなで「新年会のおまけね」と、それまでもを愉快なおばさんたちは楽しく見学したのです。
その時、私とかつて担当編集者Hさんとが早々にエレベーターホールに出ておしゃべりを、しかしなかなか他の人たちが出てこないので、思わず、「あの人たちなにをしているのかしら?」とつぶやくと、Hさんはいつもの本気だか冗談だかわからない口調で「みなさんは夢中になるほどに骨がすきなんじゃあないですか?!」と、これにはウランが驚くほどの大笑いしてしまいました。
 その新年会から6か月、伊豆高原に愉快なおばさんたちは出かけることになりました。
しかし今回はなかなか日程が決められずに、結局行ける人だけで「紫陽花」を見にということになりました。
そんなわけで参加者は3名とウランで、染色か・Kさんとマダム・ささやん、それに私とウランという顔ぶれです。
 東京駅新幹線中央乗換口8時という約束、誰も遅刻しないで集合できました。
今回は「こだま」で熱海までは自由席なので、早速ホームへ上がって列に並ぶことになりました。
その間にマダムがその雰囲気に似つかわしくないほどの迅速、快足でホームを小走りに、コーヒー3戸を手に入れて、私たちはコダマの客となりました。
染色か・Kさんがまるで子供の遠足みたいに小さなおやつ袋を一人づつ作ってきてくれて、その中には洋菓子風クッキーと飴玉3戸、それをモグモグしながらコーヒーを飲みましたが、やはり女3人寄ればかしましいの文字通りにそのもので、ウランがあきれるほどに話の花が咲いて、とりとめもなく時間が過ぎてゆきました
「あらー、いけない、もう熱海だわ!」とあわてふためいて荷物を手にホームに駆け下ります、もう少しで熱海を乗り越しそうになったのです。
「ああ、あぶなかったわねー!」とお互いにニガ笑いで、それでも胸をホッとなでおろしました
熱海駅での伊豆急各駅停車への乗換は、伊豆急行で月に1回ペースで「下田の家」に通っているマダムがリードしてくれて、私たちはその後ろをついて行くだけのことでした。
それでも無事に在来伊豆急に乗り換えて、今度は伊豆高原駅下車だから、近くになったらお互いに注意しましょうと言いあったのに・・・・・。
しかしまたまたとりとめもなくしゃべり続けて、車内アナウンスが「○○号から後ろは切り離します」と言っているところではっと気がついて、このまま乗っていたら切り離されるわよとあわててホームに下り立ちました。
ところがです、もっと驚いたことにこのホームが伊豆高原駅だったのです。
あきれて、「なーんてとんまなおばさん3人組みでしょう!?」と笑いあう私たちに、ウランが「これじゃあ任せてなんていられないわ、このわたしがしっかりしなきゃあねー!!」と、お母さんの私を見上げて、そうつぶやいていました。
 改札口にはここに数年前居を移したハイジさんが迎えに出ていてくれて、私たちは彼女の車に乗り込みました。
目的地は四季の花公園、そこでこの季節の花、いろいろな種類の「紫陽花」が群れ咲いているのです。
入口付近ではうぐいすがきれいな「ほー、ほけきょー」と鳴き声を交し合っています。
「あらー、初夏のうぐいすってきれいな鳴き声なのねー!」と、しばし聞き惚れてしまいました。
坂道を下って行くと、もうそこが海というような場所に色鮮やかな紫陽花の群生、でもこの公園は額紫陽花の花々がほとんどで、とても上品な花の群生、たたづまいでした。
売店には「紫陽花茶」が試飲用に置いてあって、坂道を歩いてきて汗だらけの私などは、恥ずかしげもなく2杯もおいしく飲みました。
麦茶のようにやかんで煮立てて、冷蔵庫で冷やして飲むと体の新陳代謝にも効果的だという効能書きをハイジさんが読み上げてくれて、私も、マダムも、迷うこともなく買いました。
 お昼はパノラマ状に海が広がって見える崔美術館(さい美術館)のレストランでパ
スタランチを食べました。
「え、伊豆高原でパスタですって?!」と笑われそうですが、でもこのレストランの1階では静岡県内の高校生たちの油絵展がそのグランプリはおばあちゃんがネコを抱いて微笑んでいる構図の絵でした。
ここでは私も高校時代は美術部で活躍、そんなあれやこれやを思い出して少しロマンティック・ブルーな気分になってしまいました。
エレベーターで上階へ上がってのレストランには静かな音楽が流れて、落ち着いた雰囲気、とてもすてきでした。
ただ難を言うならば、私たちが食べたパスタ料理に今少し野菜とか魚貝などの具材が入って居たらどんなにもっとおいしかったかなーと、それは密かに思いました。
レストランを出たところの広場でバザーが開かれていて、私は骨董市(こっとういち)の中からとても骨董品とは思えない黒のこばちが、しかし使い勝手がよさそうなので2個100円で買いました。
(これはお買い得品でした、その後毎日の食卓で大満足気分いっぱいで使っています。)
 春の桜のころに尋ねたらどんなに美しいでしょうと思える桜の里に車は回って、そこでもバザーが開かれて居て幼い子供連れの若い夫婦がたくさんでした。
偶然にもハイジさんのボーリング友達に出会って、彼女の出店しているコーナーに行ってみました。
「まあ!なーんてかわいらしいの!!」と思うような小さな動物たちが、それも日本の着物の歯切れで造られた動物たちがいっぱいでした、1個100円だというので7個買いましたが彼女がおまけねといって袋に別の物もつっこんでくれて、「これで300円いただければいいわ」とのことで、これもまたお買い得で、きっと8月にウランと訪ねる予定になっているチェコ・プラハでの出会った人々への日本からのグーなおみやげになってくれることでしょうと私は胸がいまからワクワクしてきました。
 少し夕暮れてきた一碧湖の周辺をドライブ、「ここに与謝野晶子の歌碑があるのよ、そこでちょうど半分だから引き返してわが家に立ち寄って、コーヒーを飲んで、それから帰ればいいじゃあないの」とハイジさんのお勧めにしたがって、私たちは車を降りて、晶子の歌碑を見ることもないままに、ハイジさんのお宅に立ち寄ることになりました。
ハイジさんのご主人が庭に出てきて居て、私たちを歓迎てくれて、私とウランは濡れ縁だとばかり思っていたところが実はテラスの隅っこだったのですが、そこに腰をかけて一休み中、マダムと染色家・Kとでハイジさん夫婦と庭の草草、鼻を見て回っていましたが、やがてお宅に入ってコーヒーをいただきました。
ハイジさんがかつてデンマークに旅をして買ってきたというチューリップのコーヒーカップで飲むコーヒーはおいしくて、どこかヨーロッパの味がしました。
 帰りは踊り子号に伊豆高原駅から乗りました、終点は東京駅です。
「今度は乗り間違えもないし、乗り過ごしもないでしょ、よかったわねー!」と、ウランのつぶやきが足元から聞こえてきました。
伊豆高原の写真1

伊豆高原の写真2

伊豆高原の写真3

伊豆高原の写真4

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