5月も下旬、この季節になると私は必ず思い出す白くて米粒みたいな小さな花がこんもりと球場に咲く『こでまりの花』を思い出します。
私のそだったわが家では雪国ですから敷地のほぼ半分は庭となっています、父はそこに木花を植えて、その季節季節の花を、成長を愛でていました。
右近桜がGWのころに花盛りとなって、その後を追うように赤いつつじの花が庭いっぱいに咲き誇り、八重椿がどっしりと大きな花を咲かせる頃に、家の表と裏をつなぐ場所に、こでまりの木がアーチ形を作って、そこに白く小さな花が集まって、球状に花
を咲かせるのです。
ある日学校から戻ってくると、その朝旅先からもどってきていた父がそのこでまりの下で草むしりをしていました、通学カバンを投げ入れて、その父の横に小腰をかがめて15歳になろうとしている私も草むしりを手伝い始めました。
その時父がポツリと言ったのです、「女の子は誰からも好かれるようでなければな」とです。
当時の私は正義感と理屈と頭だけて生きているような、所謂『かわいげのない女の子』でした。
家族の中でも孤立、誰とも何日も口をきかなくても平気というような全身を固い意志の塊のような、『けなげな強気』の持ち主でした。
「人間は独りでは生きられない、ダレとでも支えあうような心に余裕がないとな。
お前の人生はまだまだこれからなんだから」とも、父は言いました。
あれからようよう60年ほどの年月が過ぎました、あの頃の父の年齢を今の私は超えてしまっています。
そして庭木のいっぱいあった私のふるさとの家も今はすべて思い出の中にだけですが、きまってこの季節になるとこでまりの花を、私を見つめた父のメガネのレンズがキラリと光ったことを、見上げた空が5月の夕暮れに輝いていたことを、その風景のひとつひとつを細密画のように思い出します。