『しっぽのある娘たちと共に 3』

 結婚はしたものの、その次のハードルには、かなりな躊躇いと迷いがありました。
目の見えるお母さんのような子育てのできるおかあさんには、中途失明の私には白い杖での行動は、あまりにへた過ぎました。
ある日、盲導犬ではどうだろうかと思いついた時、一瞬すごーくすてきな事のように舞い上がってしまいましたが、しかし私は犬は大の、大の苦手でした。
幼稚園に通う道、雪のたくさん降り積もった中から突然大きな犬が跳びかかって来て、とても怖い思いをした私ですから。
犬は大の、大の怖くてたまらない動物だったのです。
犬は嫌いでも、怖くても、盲導犬はだいじょうぶなものだろうかと思いました。
それで東京練馬にあります東京盲導犬協会(現 アイメート協会)に電話をかけて、尋ねてみようと思い立ちました。
電話口は日本の盲導犬の父である塩屋先生でした。
「あのー、私は犬大嫌いな人間で、中途失明者なんですが、どうしてもお母さんになりたいのです。
それもですね、目の見えるように子育てのできるお母さんになりたいので、どうしても盲導犬の目を必要としているのですが・・・・。
こんな犬大嫌い、大の苦手な人間でも盲導犬との訓練は受けられますか」
そんなあやふやな、それでいながら懸命なる私の問い合わせに対して、塩谷先生の答えはとても簡単でした。
「あなたはぬいぐるみの犬の頭は撫でられますか?」
「はい、吠えたり、飛びついたり、かみついたりしなければ、私はたとえライオンくらい大きな犬でもだいじょうぶだと思うのですが・・・・」
「ああ、そうですか。
それならだいじょうぶ、ぬいぐるみの犬の頭さえ撫でられない人が先日4週間の訓練を終えて、盲導犬になった犬と一緒にわが家にもどって行ったからね。」
私は心底ホッとしました。
「なーんだ、悩む事なんてなかったよー。」と思ったのです。
 1985年5月、私は一緒に共同訓練を受ける二人の人と盲導犬になろうとしている犬との最初の出会い、《結婚式》に臨みました。
二人の男の人に次々と犬は紹介を受けて引き渡されて、いよいよ私の番がきました。
私はこれ以上ない緊張感と、もしも飛びつかれたら直ぐに逃げようという気持ちで椅子に腰かけていました。
「郡司さん、ベルナです。
ブラックのラブラドールで雌犬、体重は27キログラム、2歳6か月です。」という声が聞こえたような聞こえないような気持ちでしたが、とにかく手順に従って、ベルナ カム」と呼びました。
そうしたらどうでしょう。
ドタドタドタと犬の足音が私に近づいてきます、犬のハアハアという息づかい、私の怖さは頂点に達しそうでした。
深呼吸をしてよーく見ますと、私は怖くて逃げだしそうなのに、ベルナはしっぽをいっぱいブンブンと振って、喜びいっぱいの気持ちのようなのです。
「ヘー、この私に会って、この子はこんなにうれしくて喜んでいるんだわ」と思いました。
 4週間の宿泊を伴う共同訓練は私にとって死に物狂いの状態です。
「ベルナは犬ではない、犬ではない、犬ではない」と心の中で何回も呪文のように自分に言い聞かせて、まず1日が始まるのです。
「郡司さんはいつも腰が後ろに引いていて、何かあったらすぐに逃げ出そうという姿勢だね」と、塩谷先生にいつも笑われての日々でした。
そしてその古墳奮闘の努力もあって、4週間の最後の日、幻のコースの最終テストに合格して、その前日の銀座を歩くテストにも合格して、カレーライスをごちそうになっていましたので、何とか卒業ができる見込みに達しました。
その日の夜、私はベルナの頭を胸に抱いて、初めて大泣きをしました。
「よくやったねー!」と、まず自分に誉め言葉を、そして次に「よくやってくれたねー!」とベルナに誉め言葉を繰り返しながらの大泣きでした。
 わが家へのアパートに入る前の階段のところで、夫の幸治さんが待っていてくれました。
「ほーらここが今日からベルナのお家だよ。」と、私が言いますと
「僕がお父さん、お父さんと呼ぶんだよ。」と、夫が言ってちょっと恥ずかしそうに笑いました。
「さあ、家族の儀式をしましょう。」と、まずベルナの頭に夫が手のひらをのせて、その上に私の手を重ねて、私がおもむろに言葉を発します。
「私たちは家族です、今日から仲良しで暮らしましょう。」と。
梅雨の晴れ間のその日、さわやかな初夏の風が私たちの周りを取り囲み、そしてそよーっと去っていきました。

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