「それにしてもなんて気持ちの良いお天気なんでしょう!」
私はまぶたを細めて、プラハの空を見上げます、そしてあまりの心地良さにフッとため息がもれそうなほどでした。
太陽の光はまだ夏の名残(なごり)の気配をとどめているものの、漂う空気にも生まれたての秋のにおい、ほおを撫でていく、髪の毛をソヨッとそよがせてうなじをとおりぬけていく風にも、さわやな落ち着きと快い感触がありました。
そして私たちはなにより飲んだチェコビールで《ほろ酔い気分》、だからスゴークハイテンションになっていました。
「さっきね、この中庭でテーチャー・ヒトミとテーチャー・エミコが二重奏で《花》を合唱したのよ」
私と中庭を歩いているときテーチャー・マユミが言うのです。
あらーいいわねー、私たちも歌いましょうよ」
そして彼女たちはなんで花を合唱したのだったのかしらと、あれは《春のうららな隅田川》なんだから春の歌じゃあないのってお腹の中で思うのでした。
でもビールでほろ酔い気分、そんなの春の歌だろうが、冬の歌だろうが・・・・、まあどうでもいいかなーという気持ちにもなって、一つ大きく深呼吸を、それから「さあ、まゆみさんいいでしょうか、いきますよ」
「はい、いいですよ」と掛け声を交し合って、私たちのコーラスもスタートです。
二人で腕を組んで、《夏の思い出》をプラハ城の青空の下で気持ちよく歌い上げました。
私の左側に居るウランだけがたった独りの観客なのですが・・・・、でも「えー、ここは尾瀬沼でもないし、もう夏っていったってねー、どちらかと言うと《いまはもう秋》って歌の方をじゃあないの!?」という顔で見あげていました。
誰にでもその時代のことを懐かしく思い出せる《歌》はあるもので、私にとってこの江間章子(えま しょーこ)作詞《夏の思い出》は、中学二年生の夏休みへストレートに立ち戻っていける思い出の歌なのでした。
そして2017年夏、こうして歌ったことによって、今度は《プラハ城》の思い出にもつながっていける歌にもなったのでした。
13時から建物のスポットのような場所で、プラハ城を守る兵隊さんたちの管楽器コンサートがあるというので、そしてそれはチケット無でも入れてくれるともいうので、行ってみましょうということになりました。
とても良い音色、バロック音楽からビートルズまで、やはり今の若者らしく、フレッシュでエネルギッシュ、そしてお昼にビールを飲んだので、油断すると・・・・、ついついススーッと眠りの森の中に入っていきそうにもなってしまうひとときでした。
おばさんなれど夢見るテーチャー・マユミは体をメロディーに合わせてのりのりスタイル、かなこちゃんはコックリコックリスタイル、そして私の足元でウランは・・・、《グーグー・スースー》と熟睡スタイルでした。
再度聖ヴィート教会に回って、チケットがないので聖堂の回廊からのぞいて、うっちゃんの説明を聞いていました。
すると・・・・です。
ピンクのシャツを着た若いスタッフの女性が、美しい笑顔で私たちを手招きしてこっちへどうぞと呼んでる様子なのです。
そして「さあどうぞ、お入りになって」とばかりにゲートをあけてくださっているのです。
「あのー、私たちチケットを買っていないのです」
うっちゃんがちょっととまどい気味に言います。
「この中に入って、目のご不自由なこの方に、よーく見せてあげてください、お仲間のみなさんもどうぞ」
「まあ、本当にいいのですか?!」と言いながら私たちはなだれのようにそのゲートをくぐりました。
この聖ヴィート大聖堂は14世紀に着手した建物で、その後さまざまな歴史の大きなうねりの中でのドラマがあったものの、プラハのシンボル的教会として荘厳なる佇まいで現在に至っているのです。
ミュシャのステンドグラス、その他たくさんのステンドグラス、そして窓ガラス、バラの模様が歴史的にもとても意味深いものなのだということです。
回廊はさまざまな美術的レリーフ、彫刻、銅像が飾られていて、まるで美術館のようだとも。
聖堂の34メートルあるという高い丸天井、そこに天使がたくさん舞っています。
椅子に腰をかけて、目を閉じて、静かに呼吸を繰り返すと、すごーく自分の気持ちの中に伝わって、体のどこかに共鳴、響き合うものを感じさせるなにかがありました。
長い、長いこの歴史の中でどれだけ人間のあらゆる感情、哀しみや怒り、喜びやそね
み、おぞましさや裏切り、そういうさまざまな人間のネガティブな感情の《綾(あや)》をうけとめてきたでしょうか、この漂っている空気の中で、私も自分の過ごしてきた72年の日々の中での《なにか》を感じて、改めて受け止めることができたように思いました。
天井で舞う天使一人、一人の心に、ほんの指先であっても触れさせてもらえた、共鳴しあえた喜び、私なりの聖霊なるものを感じて、受け止めさせてもらえた喜び、それらの全ては感謝からはじまって、感謝に尽きるのだとも思いました。
感激、感動でほおを上気させて外へ出ると、偶然にもピンクシャツ・スタッフの彼女にまた出会えました。
「THANK YOU!」と言いながら日本から持ってきていた《ラブちゃんバッチ》をひとつプレゼントすることもできました。
聖イジー教会にも回ってみました、そこは玄関の前にやはりスタッフでしょう、おばちゃんがテーブルを出して、コンサートのチラシを配ったり、そのコンサートチケットを販売したりして居ましたが、私たちの姿にはまったく無関心、「入館チケットのない人はだめです」と寄せ付けてもくれない様子でした。
このイジー教会の聖堂は11世紀の建物で、今現在プラハで現存している教会としては最古のものだということで、とてもシンプルな中の様子だと、一緒に回廊の外から覗き込んで眺めて居たうっちゃんがおしえてくれました。
ただイジー教会のこの聖堂は音響がすばらしいということで、今でも《プラハの春》を記念するコンサートは、この聖堂の中で開かれて居るのだということです。
そしてこれらのもっと奥敷地には《修道院》と《女子修道院》の建物があるようなのですが、とても私たち観光客が気楽に立ち寄れる場所ではありませんでした。
かつてローマ帝国が現存していたころの職人たちが住んでいたという《黄金小路(おうごん こうじ)》にも行ってみましたが、ミセスKが交渉してもチケット売り場のおじさんは頑として「盲導犬であっても犬は入れることはできない」と言い切って、最後には「ここは建物の中が狭いから犬は通り抜けることはできない、だからダメだよ!」とも言います。
「これって日本でも同じことなんだけれどね」と前置きをしてから、私は盲導犬の入店、入所を頑として拒否する人間の心の中に渦巻いているでしょう感情を手短にミセスKに伝えます。
「人間はやはり感情の動物、その感情の問題で拒否するのよ、ここでは犬がどうこうとか、盲導犬がどうこうじゃあないのよね、」全て理屈ではなくて、全てそれらは感情の問題なのよ。
「だからね、無理に理屈で追い詰めていかない方が平和裏でいいわ」とも、にがく笑いながら伝えました。
プラハ城の裏側から表面に向かって歩いて行きます。
お城のそれぞれの入り口にまるでおもちゃの鉛の兵隊さんのようないでたちで、このお城を守る兵隊さんが姿勢を正して立っています。
「とてもキュートでハンサムな若者ばかりよ!」とうっちゃんがおしえてくれました。
このお城の中に居たでしょう王子様、お姫様はどんな生活をしていたのでしょう、どんなことを日々考えていたのでしょう、そしてどんなファッションで毎日を過ごして居たのでしょう。
眼下に広がるプラハの街々で暮らす人たちの生活を、どんな思いを抱きながら見下ろしていたのでしょうか。
豪華なパーティではどんなに華やかな宴が催されていたのでしょうか。
そしてその日常はと、日本のおばさんの思いと想像はどんどんはてしもなく膨らんでいくのでした。