東欧・プラハへの旅 NO.1 はじめのページで

 「今年の夏はどこの国に行きましょうか」の話題は4月、私の故郷、高田城跡の桜祭りが始まったころから、この旅行の総責任者、ミセスKと昨年一緒にニューヨークを旅した《マダム》ことうっちゃんと私の間で頻繁にメールや電話で候補の国の名前が飛び交うようになりました。
ここ数年続いている、夏のほぼ1週間の海外旅行、《K旅行店倶楽部》の個人ツアーでは、なんといっても私と一緒に常にこの企画に参加してきた盲導犬ウランの検疫が最大なる重要案件、最大なる懸念材料です。
そこさえスムーズに通過することができれば、盲導犬との旅は他に何の差しさわりもなくて、快適に1人と1頭のコンビは、他の人たちに交じりあって海外旅行を楽しむことができるのです。
 《K旅行店倶楽部》の部長、ミセスKは現職中学校英語教師、かなり高度な、そして多機能な、英会話力の持ち主ですが、しかし旅先の生活事情はやはり現地に住んでいる人が一番わかる、そのためには旅先に日本語会話のできる人から情報を得る、これが何よりの安心で安全を約束してもらえる必要事項なのだと、彼女は常々言うのでした。
それらのことも含めて今回もいろいろな候補国が出たのですが、5月に入ってからはその行き先がだんだん絞り込まれて、具体的になってきました。
《スイスでローザンヌ音楽祭とマッターホルンを望む周辺をトレッキングの旅》、あるいは《チェコ、プラハで世界遺産を見ながら街歩きの旅》、このどちらかにしましょうということになりました。
スイスは数年前、この《K旅行店倶楽部》でミセスKといつも笑顔のティーチャー・ミホ、それに私とウランとで旅をしました。
グリンデルワルトを宿泊地として、そこからその旅の一日をツェルマットまでデンシャで行って、一気にマッターホルンの近くまで乗り物で上がって、高山植物を眺めながらウォーキング、岩の上で寝そべって、山の空気を感じて、そこに広がる空を感じて、雄大な山々の壮大で重厚なる雰囲気をを満喫させてもらえました。
それで動物病院も、最終的に国の公印をもらうチューリッヒの役所の所在地も、私たちはすでに経験済で、この「知っている」という感情はかなり強く気持ちを動かしました。
しかし8日に出国、14日には帰国しなければならないという日程の都合でスイスは無理ではないかということになりました。
そこで残ったカードは《プラハ5連泊、世界遺産の街歩き》と、今年の夏の旅先は、こうして決まったのです。
プラハにはミセスKとうっちゃんの知り合いの友達、ミセス・ハルミが在住で、地域の人たちに彼女は日本語を教えているということがわかって、これは私たちにはとても力強い情報でした。
その上ウランの日本帰国の書類作成のために現地の動物病院と公印を押してもらう役所を動き回らなければならない一日は、ミセス・ハルミから日本語を学んでいる生徒のミセス・ヤナが同行、案内をしてくださるというのです。
彼女は数学の教師で、驚くことにプラハの自宅で秋田犬を飼っているということです、これだけでもいかにミセス・ヤナが日本を好きなのかがわかります、私たちの気持ちは一気にプラハへ、プラハへとなびいていきました。
驚くことに今回の旅は、次々に同行希望者が現れて、まず英語教師のH、音楽教師のY、K、T、そしてその娘さんの二十歳のかなこちゃんと総勢8名とウランの大編成となりました。
そしてこの人たちは何故なのか、私と故郷高田を介在してのご縁があることもわかって、気持ちは夏のプラハへと一気にドンドーン、ワクワークでしたが・・・・。
 行き先のプラハへは成田国際空港から直行便は時間的に都合のよいものはなくて、ヘルシンキ国際空港でトランジット、再度乗り換えてプラハ国際空港入りというフライトとなって、今回の旅は北欧と東欧にと今まで経験したことのない地域へ盲導犬ウランが足を踏み込むことになります。
いつもウランの海外旅行の書類をお願いしている動物病院に、「北欧、東欧の盲導犬の入国状況はどうでしょうか?」とたずねてみますと、「書類作成は今まで以上に大変かもしれない、でも一応両国の大使館経由でたずねてみましょう」という応えが返ってきました。
やはりどこかベールに包まれた北欧、東欧の盲導犬同伴旅行には、今までのような海外旅の気楽さはなくて、かなりな緊張感伴うことを私は覚悟しました。
でもペリラの時代からお世話になっているドクター・Hの「だいじょうぶ、この時代に盲導犬といっしょに旅をすることを受け入れてもらえない国があるだなんてよほどでなければ考えられないんだから、まず事務方には書類作成に取り組んでもらい、こちらはその検査に対応するためのことからはじめましょう」と言ってくださって、その言葉が私の背中を強く押す大きな力にもなってくれました。
検査数値はコンマ00くらいまで出さなければならないので、狂犬病注射は間を1か月置いて2回うつこと、それにワクチン注射もということで、5月6月7月とウランは毎月1回は注射を打って、出発に備えました。
今回はいつもの日本から出国、そして帰国に関する書類の他にEU加盟国へ入るための書類と東欧チェコの国に入るための書類を付け加えなければならないということもわかりました。
五月にはフィンランド航空のチケットも購入手続きが終わりましたが、今回はいつものエコノミークラス最前列の、足元が一番広い座席を取ることは、フィンランド空港側から拒否を受けてしまいましたので、残念ながらあきらめざるを得ませんでした。
その理由は社内規定としてその座席に座る人の機内持ち込み荷物は全て壁に取り付けられている収納場所に入れなければならないということです。
しかしそういうことになるとこの航空会社では補助犬全てが機内持ち込み荷物と同じ扱いということだったので、私としてはやや鼻白む思いがありました。
それでエコノミークラス座席の中で比較的足元の広い座席をなんとか確保したものの、実際にはどれだけ広いことなのか、はたしてウランがそこに十数時間も居ることが可能であるか、私には最後までウランに関しての心配で不安な気持ちが尾をひきました。
 動物病院から盲導犬海外旅行に関する完成書類を受け取ったのは8月1日の午後のことです。
それを出発3日前の8月5日に成田国際空港第2ターミナル・動物検疫所に持参、ウランの健康チェック診察も含めて書類審査を受けて正式にウランは日本国から出国受理となりました。
さあこれで迷いや心配、不安などで惑わされてはいられません、すでにホップ、ステップ、ジャンプのそのジャンプ手前まで来ているのですからと自分のグタグタ考えるあれやこれやを一気に吹き飛ばして、後はとにかくファイトで乗り切る、私のいつものパターンとなりました。
8月6日、7日と2日を要して留守宅となるわが家の掃除や片づけ、出発の荷物つくりです、ウランに関するものはドッグフードも含めて機内持ち込み荷物とするためにリックサックに詰めて、自分の者は全て預かり荷物としてトランクに詰め込みました。
そして忘れてはならないものは私の日常服用の薬類です。
しかし結果的にやはりどこか抜けていたのでしょうか。
昼に飲む薬を最初の2日分はケースに入れたので持参したものの、後は薬袋ごとわが家の洗面所の棚に置いたままで出発、そんな失策を犯してしまったのですから、やはり私の気持ちは冷静沈着ではいられない、どこか落ち着きのないものだったのでした。

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