タクシーで滞在中のハーレム・アパートメントハウスに戻ってきたものの、私たちはまたまた大あわてで次の外出への準備です。まず汗だらけな衣服を脱いでシャワーを浴びて、さっぱりしたところでちょっとおしゃれな洋服をひっぱりだして、マダムも私も薄化粧さえしたのです。
『あれー、うちんちのお母さんはまたどうしたのー?!どこへ行くっていうの?!』夕食のドッグフードを食べて、ワンツータイムも済ませて、やれやれとMS.YORANDAの分厚い絨毯の上にひっくり返って寝そべっていたウランでしたが、顔をもちあげて私たちの様子を『あれー!?』と眺めています。
「さあ行きましょう、ウランちゃんも行きますよ!」マダムの掛け声で、リラックスしていたウランにスイッチが入りました。『まあ、うちんちのお母さんたちってまたどこかへゆくのね?!お留守番なんていやだもの、眠ってなんていられないわー!」こう思ったのでしょう、ウランはすぐにそのマダムの掛け声に反応、サーッと立ち上がりました。そして私たちは意気揚々と今日何回目になるのでしょうか、アパートメントハウスの階段を駆け下りて、道路に出ました。
今回の旅ラストのお楽しみ、ニューヨーク最後の晩餐をかねてジャズライブにでかけるのです。ハーレムはやはり黒人の人たちの街、たくさんの黒い色の人たちが街の中でニューヨーク市民としての日常生活を過しています。だからこの街では、激しく訴えるロックより、心情をせつせつと訴える静かなグルースより、やはりハイテンポで、軽快に訴えてくるジャズがとても似合う、そんな雰囲気がありました。
階段を下りると地下鉄の駅に向かう、いつもの場合には左へ曲がってゆくのですが、今度は道路に出て右へへと歩道を歩いてゆきます。この先を大きな交差点まで歩いて、それを右に横断歩道を渡って、そのまま道なりに歩いて行けば、それほど遠くないところに目的地、『MINTON’S(ミントンズ)』がありました。
ここはかつて有名なジャズシンガーたちがステージに立ったとMS.YORANDが言っていましたし、彼女がお勧めのジャズクラブでもありました。
ジャズクラブまでの途中の道で、お散歩中のペット犬が歩道の片側に寄せてワンツーをしていました。通りかかりの人がちょっと立ち止まってそのペット犬の飼い主に尋ねます。
「この排泄物は片付けますよね?」「はい、心配はご無用ですよ」
その返事を聴いた人は深くうなづいて、ごく普通の足取りで立ち去って行きました。この光景を偶然に眺めて、日本人そのものの私はちょっと驚きました。これと同じことが日本のどこかの街角であったとしたら……、どうだったでしょうかとちょっと思ったのです。排泄物は片付けますよねと尋ねた人は、きっと意を決してで尋ねたでしょうから……、あるいはあんなところで本当にまあといささか怒りの感情があっての問い但しだったでしょうから……、顔は険しく、声もややとんがっていたはずです。
そしてそれに対応して心配はご無用ですよと応えた人の方も、余計なお節介やろーめ!という気持ち満々だったでしょうから、きっと顔も、声も「何言うか、こいつは!」というもっととんがり顔だったでしょうし、声だったでしょう。そして尋ねた方の人もきっとその心配ご無用なのかどうかを、最後まで確かめるように傍にくっついて眺めてというか、観察、監視していたことでしょう。
この後お互いに気まずくなって別れることを予測しながらも、日本人気質は、良くも、悪くも、そういうシチュエーションになってしまったことだったと予測するのですが……。ここはとても大きく違っていて、尋ねた方もごく自然に「あら、大丈夫、片付けてくれるよねー」という雰囲気でしたし、応えて「ご心配ご無用」と言ったペット犬の飼い主もごく気楽に「大丈夫ですよ」という雰囲気でした。このおおらかさ、このユーモラスさ、相手を尊重する余裕の気持ち、これこそが私を初めとする日本人にどうしてもない気質なんだなーと思ったのです。
「さあ着いたわ、ここよ」とマダムの足が止まって、私とウランの足も止まって、それでも「えー、ここが?!」という半信半疑の気分でした。『ジャズクラブ・MINTON’S』は、ニューヨーカーには有名なライブコンサートのお店とはいいながらも、ごくごく普通のビルのような建物でした。そして私たちはその普通のビルにある玄関ドアノブを押して、中に入っていきました。盲導犬同伴でもまったく見とがめられることもないままに、ボーイさんに案内されて、ステージからそれほど遠くはないテーブルに私たちは着きました。クラブの中には濃厚なアルコールの匂いが漂っていましたが、騒々しくもなく、まったく雰囲気は穏やかなものでした。
「ステージのすぐ前のテーブルに日本人観光客が陣取っているわ!」マダムが小さく教えてくれました。「日本人のおばさんばかり?!」尋ねる私にマダムは軽く笑いながら「そうねー」と応えます。「恐るべき日本のおばさんたちかな!!!」と、私は自分たちも含めて深く感心、密かに笑ってしまいました。
運ばれてきたオニオンの酢漬けのようなものを、私は昨夜のメキシコ料理のお店の時のように咳き込んだら大変と、小さな口をもっと小さくして、慎重に食べました。それに赤ワインも同じく上品に、すするように飲んだのです。
足元にダウンしていたウランがそんな私を見て、『あれまあー、うちんちのお母さんも今夜はなかなか気取っちゃってさ!』と思って、笑っていたことだったでしょう。
そのうちに演奏がはじまりました、ジャズらしく軽快で、重厚で、そして迫力があって、胸に訴えてくる旋律、その瞬間どのテーブルからもフォークやらスプーン、ナイフの金属音が掻き消えました。
グランドハープ、ベースとドラムスのおもしろい組み合わせのステージでした。なにしろプログラムもなにもかにもが英語ですので、なんて曲のということはさっぱり私にはわかりませんが、かつて聞いたことのあるメロディーもありましたし、まったく初めて耳にするような旋律もありました。ジャズピアノがとても大好き、それに比べるとグランドハープの奏でる旋律はやや上品過ぎるかな、迫力に欠けるかなーとも思いましたが、でもいくつかの曲目が続いて、手ざわりの良い旋律、気持ちには寄り添ってくれる音の世界を楽しむことはできました。
ワンステージが終わるとマダムが小さくささやきます。「ななえさん、今日は残念だけど、これで帰りましょう」と。明日の帰国準備がまったくできていない私たちです、それを気遣ってのマダムの配慮だったのでしょう。そして私たちはそそくさとテーブルを離れて、入ってきた時と同じ玄関ドアノブを引いて、道路に出ました。
まだ日中のあの暑さを色濃く残しているなまぬるい空気、大きくL字型に歩いてアパートメントハウスに戻りました。明日は朝ごはんを済ませると、すぐにこのアパートメントハウスを出発、飛行場に向かうスケジュールなのです。しかし私はすでに体力の限界、眠くて、眠くて、手放しで眠くてたまりません。
「私はもうダメ、夜中に起きて、帰り支度をするから、今夜はこれで眠るわ」すでに眠気でフラフラ声となっていましたが、それだけ言うとベッドに潜り込みます。
「それならさ、私の荷物は全部トランクに詰めておくから、出ているものは全部ななえさんのものだと思ってね、トランクの蓋は私が最後に体重をかけて荷づくるからね」とマダムの声がおいかけてきましたが、その声さえも半分は夢の中で聞いていたような気分でした。