ニューヨークの旅 No.9 第3日目・8月11日(木)

日常生活の中で長年知らず知らずの間に身についた習慣は、旅先でも気がつけば自宅に居たときと同じような辿り方をしているものです。旅は非日常を楽しむために出かけて行くのだと思うのですが……、しかしなかなかそういうわけにはゆかないところが私には多々あります。

前の夜が遅い時間に就寝となっても、日中過激に動き回って疲労感が強くても、私の眠りは相変わらず浅くて、その上朝4時といったら、まだ日も明けきらないというのに目覚めてしまいます。そしてベッドの中でうつらうつらの微睡(まどろみ)を繰り返しているうちに、ウランの体内時計が朝5時になったのでしょうか。彼女はむくっとハウスから起き上がります。

この旅の間、私が持参したウランの薄い旅行用マットは、冬になったら火が入るのでしょう暖炉の前に敷いてあるのですが……、それには彼女は見向きもしません。MS.YORANDAが最初の日に「ドッグをこの部屋の中では好きなようにしてあげていいわよ」と言ってくれた言葉を私の傍らで聞いていましたので、きっとウランにもその英語の言葉がわかったのでしょう……、ぶ厚い高級そうな絨毯マットがハウスになっているのです。

朝なのになー!。うちんちのお母さんはいつもわたしに起こしてもらわなければ目が覚めないんじゃあどうしようもないわねー!そんなふうにきっと思っているのでしょう、ヒョイヒョイとした足取りで私のベッドの近くまでやってきました。それから『朝だよー、お母さん朝だよー!!』とばかりに自分の体を私のベッドにドスーンとぶつけます。「お母さんおきてよー、わたしの朝ごはんの時間だよー!」いつでもその体当たりのために揺れ動くベッドに横になって、ウランはそう言いたいんだわと少し笑ってしまいます。

それからの私は……、亀戸のわが家でもそうでした、ここニューヨークでもそうなのですが……、眠い目をこすりこすり、あるいは痛い腰をなでさすりながらといった様子でベッドから起き上がって、床に下りるのです。「本当にまあ、こんなに早くから?!」とぼやきながらです。これがまたわが家の朝の儀式みたいなもので、私とウランの日常生活の中ではすでに習慣化されています。この私の毎度毎度のぼやきが、眠そうな様子が、ウランには無情の喜びのようなのです、しっぽをうれしそうに振って、『あらー、お母さんおはようございます』と機嫌の良いあいさつをしてくれますから。

ウランの朝ごはんの支度をして、食べさせて、私は大急ぎで身支度を、それからMS.YORANDA自慢の庭に出て、腰にワンツーベルトを巻いてやって、ウランのこの朝1番のワンツータイムです。ここで彼女がしっかり出すべきツー(ウンチ)を出してくれると…、今日1日出先でその処理のビニール袋を捨てるゴミ箱探しをしないですむのですが……。

朝のこのウランのための一連のことが終わると、彼女はやれやれとばかりに今度はまたお気に入り絨毯マットの上でひっくり返って眠りにつきます。そして私はやはり同じようにやれやれと安堵のため息をつきながらも、すぐに朝風呂の支度をはじめます。幅も長さもある大きな洋風バスにたっぷりなお湯をはって、そこでしばらくの間手足の関節をあたためる、伸ばしたり縮めたりの手足の運動をする、これをやらないとどうも関節の動きが緩慢で、心もとないような気がするのです。これは17歳でベーチェット病を発病、その後ずいぶん長い間、大量にステロイド剤を服用しなければならなかったための後遺症か、どうなのかは判明しているわけでもないのですが……、これもまた長年の私の生活習慣でもあるのでした。

朝風呂の用意をしていると、その背後から「ななえさーん、朝はコーヒーだけでいいの?」とマダムが声をかけてきました。「そうそう、そうだよ!あんなに昨夜は食べちゃったんだから、今朝はそれだけでいいのよー!」

今日は7時30分にDOCTOR・SOEDAが、ウランの健康チェックのためだけに、このアパートメント・ハウスまで往診にきてくださることになっています、彼はニューヨーク在住の日本人の獣医さんです。このDOCTORと知り合った経緯も、また人脈というか、人と人のご縁のたまもの、マダムUがブラジル・サンパウロの日本人学校に勤務した時に知り合った在ブラジルの夫人に紹介されて、今回ウランの書類の件でお世話になることとなったのです。

DOCTORは、約束の時間きっちりにアパートメント・ハウスの玄関チャイムを鳴らしてあらわれました。まだ40代半ばといった年齢でしょうか、なかなかすてきな先生です。そして1階のリビングでウランを診ていただくことになりました。

マダムUがコーヒーの濾紙が見つからないとあわてていましたが、でも手際よくおいしいコーヒーを入れてくれて、しばらくDOCTORと私は世間話を、そうしたらまた不思議なご縁がひとつ広がったことを知りました。亀戸で月1回ウランが健康チェックを受けている獣医の先生とDOCTOR・SOEDAが昔からの知り合いだということがわかったのです。「まあ、世間って広いようで狭いものなのですねー」と私はすっかり感心してしまいました。

思いをこめて手を伸ばせば、新しい手に触れます、そしてそこからまた新たなる人間関係が広がっていきます。この人間模様は暖かな手はその望む暖かな手に、冷酷な手はそのようにやはり冷たい手に、こんな風に連鎖でつながっていくように思えます。連鎖で織りなされる人間関係を突き詰めて深く考えると、新しい出会いが楽しく思えたり、つらいもののような気持ちがしたり、怖くもなってきます。

ウランが無事に日本に帰国できるためには、今日整えようとしている書類にミスがあってはだめなのですから、とても大切な、そして慎重に事を進めなければならない今日1日です。この日のDOCTORのウランへの健康チェックはすぐに終わりましたが、そして書類に書き込みもしてくださったのですが、肝心なニューヨークの公印を押してもらわなければ、完全書類とはなりません。海外に盲導犬と旅をすると、獣医の先生を探すのも大変ですが、この国の公印がどこにあるのか、それを押してもらうためにはどう乗り物に乗って行ったらよいのかを知るのがとても大変なことでした。この書類を完全なものとして成田空港到着後ただちに動物検疫所で書類を通過させなければ、ウランの日本帰国は認められないのです。ニューヨークに出国したものの日本に入国できないとなりますと……、ウランは宇宙に浮遊する盲導犬ウランになってしまいます。

旅立つ前の段階で、マダムとDOCTORとのメールでのやりとりでは、この公印をとるのにFedExを使ったらということだったのですが……。FedExとは日本で言うならばバイク便のことです、それを頼んで書類を持っていってもらい、印鑑を押した書類をまたこちらのアパートメント・ハウスに届けてもらうということなのです。今日11日は木曜日、週末は農水省の事務所だってお休みに決まっています、そして私たちが日本に向かって飛び立つのは14日日曜日の午前便です。となりますと……、今回はどう考えてみても12日、明日の金曜日までに書類が、それも完全書類となって、私たちの手に入っていなければなりません。そのスケジュールを確認しあった結果、やはり農水省に直接公印を押してもらうために出向く、それも11時までに着くように出向く、これがベストの選択だということになりました。

この書類を受け付ける農水省の窓口は実に辺鄙なところにあるのです、方向的にはJFK空港の近くなのですが、と言いながらも空港からとても歩いて行けるような距離ではないとのことです。

DOCTOR・SOEDAがだいたいの地図を、地下鉄の乗換駅を、マダムに説明してくださって、そして次の往診先にあわただしく立ち去って行きました。そしてDOCTORと私とがまだコーヒーを飲みながら、雑談している時に、狭い階段を下りたもうひとつの部屋に滞在していたスペインの若いカップルが仲良くその階段を上がってきました、今日の飛行機で帰国するのだということでした。まだ20代そこそこの年齢と思わせる雰囲気があって、その初々しさとさわやかさでなんとはなく婚前旅行なのかなーと思える2人でした。いつもダイニングではなくてキッチンの小さなテーブルで、小鳥のように短い単語を操って会話をして、2人でクスクスと笑っています。そのカップルがとても簡単な朝ごはんのサンドイッチを食べた後に、「グッバイ!」とアパートメント・ハウスの玄関を出て行きました。

DOCTORが立ち去った後、さあ私たちも大変です、11時までに公印を押してもらえる場所までにたどり着くためには少しでも早い時間にこのアパートメント・ハウスを飛び出さなければなりません。大急ぎで身支度を整えて、出かけましょうということになりました。

サブウェイ116駅はまだラッシュ時で昨日乗った電車よりは、はるかに混雑しています。しかしドアを入ってすぐにの2席が優先席のようで、私がウランと入って行きますと、すぐに1つの席をあけてくれました、そこは出口の1番近い場所です。しかしその隣の座席も優先席のはずなのですが……、小太りのキャリアウーマンが懸命に書類らしきものを読んでいて、私たちの方を見向きもしません。しばらく電車の揺れに身を任せて、ウランが足元にちんまりとダンウしているので、私はウツラウツラの微睡をはじめました。朝のラッシュアワー時とは言いながらも、日本のそれとはまるで混み合い様子が違います。立っている人はいるものの、日本の朝ラッシュ電車のような押し合いなどする必要はありません。

そしてかなり電車が走ったところで、私の膝の辺りにポタリポタリと水滴が落ちてくることに気がつきました、最初「雨が降ってきたのかなー」と思いました。眼の前の乗客が手に持っている傘の水滴が垂れてくるのかと思ったのです、しかしその最初はポタリ、ポタリだったのが、なんだか勢いがついてポタポタと落ちてきます。上を見上げても、もちろん見えないのですが……、雨水が吹き込んでいる様子はありません、そして私の隣の座席の小太りキャリアウーマンは相変わらず顔を上げる気配もなく、書類らしきものを夢中で読んでいます。

マダムが私の気配に気がついて、「ありゃーまあ!」というように、大あわてでティッシュペーパーの束をそのポタポタポタの膝のあたりに置いてくれました、そして苦笑しているようです。

ダンウタンン駅に到着、その水滴被害から逃げるようにその場から私とウランはドアをめがけて突進、あわててホームに出ました。あの雨滴の原因は……、私の目の前に立った2メートルくらいあるでしょう白人男性の吊革につかまっている彼の腕から流れ落ちる汗だったのです。

「いやはや、驚きだわねー!」「やはり食べるものが違うからかしらねー、すさまじい汗の量だわ!」私たちは顔を見合わせて、度肝を抜かれたように深い驚きのため息です。

日本ではいくらなんでも、通勤電車の中であんなに汗を出す人などは、考えられないことです。それほどにニューヨーク地下鉄車内はとにかく暑いのです、戸外を走る電車に比べれば、窓をあけても微風さえはいらないのですから、太陽がぎらつく外を歩くよりはるかに地下鉄の車内は暑いということになります。ブルーカラーの人たちの通勤着は男性ではほとんどが上はタンクトップ風シャツスタイル、そして下は短パンといった出で立ちなんだそうです。女性はごく平凡で、家でジャブジャブ洗えるようなワンピース姿が若い人、年配の人、どちらも多いわねーとマダムは教えてくれました。

人の汗の被害を初めて受けて、いささか気分を害した私でしたが、しかしこの乗換駅、ダウンタウンの駅中でとても素敵なことがありました。だから人生何事も糾える縄の如しと格言でも言いますので、良いこと、悪いこと、その繰り返しなんだなーと、日本のおばさん心は思いました。

”写真008”

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