四谷の交差点を渡って、イグナチオ教会への道に「酔芙蓉の花(すいふようのはな)」が咲いています。
この芙蓉の花になぜ《酔う》などという頭がついているかと言いますと、1日のうちで花の色合いが、時間によって刻々と変化していく、その様子からつけられた花の名前なんだそうです。
朝のうちは真っ白にお化粧したように白い色合いの花が咲いています。
そして日中になっていく時間の経過とともに、それが少しづつ薄く色づいて、そしてその色合いがお昼になるともっと濃さを増して、夕暮れには赤い芙蓉の花となって凛として咲き誇り、日暮れには花びらを散らすこともなくて、その赤い色のままクシャーと花の形を崩しておしまいとなるのだというのです。
たった一日の命を感情のままに色合いを変えて咲き誇るその花の命はなんて決然として人間的な花なんでしょうかと私はとても感心しました。
最近はにんげんでもなかなか自己主張をうまく出せないで精神的に病む人が、あるいは突然と抑制していたその感情を一瞬で無防備に爆発させてしまう、そんな生き方べたな人が多いのに・・・・・。
《花の命は短くて・・・》、その歌のままの花なんだねーと、大輪の花びらが幾重にも重なって豪華なだけに、その赤くクシャーとしぼんでしまった花の姿は、酔いつぶれた人のようなそんなユーモラスな想像もかきたててくれます。