アパートメントハウスを出て歩道を左に方向をとって歩き、間もなく左へ曲がって行くとそこに《カレル公園》があります。
ここでウランに今日2回目のワンツーをさせることにしました、朝1番ですでにワンもツーも出していましたので、今回は多分ワン(おしっこ)だけのはずですが、とにかく彼女の腰に《ワンツー・ベルト》をつけて回します。
この公園の中にはゴミ箱がかなりな数があって、ビニール袋のワンを凝固剤の猫砂で固めて、飛行機の中での備え付けの《汚物袋》に入れて、そのままボックスに廃棄処理できるので、一連の動きが流れるようにできてとても便利です。
ウランのワン《おしっこ》を固めたものを今回も機内備え付けのところからもらってきた《汚物袋》に入れて、ミセスKがゴミ箱に捨てに行ってくれたのですが、「こんなものがボックスの上に置いてあったわ」と言いながら紙の袋をヒラヒラさせてもどってきました。
今までウランと一緒に旅したスイスでも、オーストリアでもゴミ箱のそばに、犬の絵を描いた黄色いビニール袋が置いてあって、ペット犬たちの散歩の時排泄した《うんち》をそこに居れてゴミ箱に処理することとなっていました。
オーストリアではそれを守らないでそのまま置き去りにした場合には、法律にふれて罰金制度さえもあると聞きました。
しかし今回のように紙の袋ははじめてのことです。
私も、うっちゃんも、ミセスKが持っている紙の袋に注目します。
紙袋の中には、1枚のボール紙が入っていました。
そのボール紙をしばらく見ていたミセスKが、「ああ、わかったわ!」と言いました。
そして何回もうなづきながら、「なるほどねー!」と実に感心した様子です。
「この点線のとおりにたたんでいくと、これってうんちのような固形物を拾う《紙のスコップ》になるのよ、だからこの公園ってワンちゃんのうんちがまったく落ちていないんだわ!」
「そうね、それらしき物はないわねー!」
うっちゃんもキョロキョロ見渡してうなづきます。
「捨てるようなごみってさ、やはりゴミ箱があると、そこに捨てるじゃあないのねー。
これってやはりごみはゴミ箱への人間のすでに身についた生活習慣、だからゴミ箱って必要な物なのよね」
私はかねがね思っていた《ゴミ箱》が私たちの日常生活の中から姿を消してしまったことへの違和感を話しだします。
「ゴミ箱を置くと、その周りが汚れるってことは前々から言われてきたけれど、オーム真理教事件以後徹底してゴミ箱撤去、それは突発的な大事件の大きな誘因のひとつになるということだったんだけれど・・・・。
でもこの対応方法ってやはり今ひとつ違っていたのではと、私は思うのよね。
日常生活の中で必要なものは残して、でもその管理をもっと万全なものにする、そういう基本的な考え方が、物事への対応にずれがあったのではとおもうのよ」
これらの事は私が日ごろ思っていたものだったのですが、なんとはなく自分の心の奥深くにとどめているだけのことだったのです。
それを一気に、ここで吐き出すかのように言ってしまって、そういう自分自身にややとまどいを感じて、苦笑で言葉の最後を閉じました。
(なにもプラハまで来て、日本のゴミ箱事情を・・・・)と思って、自分で鼻白んでしまったのです。
プラハではとても犬を飼っている人たちが多いと聞きました、昨日の《プラハ城》周辺でも大きな犬と一緒に歩いている人たち、家族たちをたくさん見かけました。
多分この公園にも朝夕、愛犬の散歩に出てくる人たちがたくさん居ることでしょうと想像します。
しかしまったくといっていいほど動物の排泄物が落ちていない《、それは何と言ってもここ《カレル公園》の中、かなりな数のごみ箱の存在が大きいのではないだろうか、その《ゴミ箱》をきちんと管理されているからその周辺が汚れていない、それでこの《カレル公園》はとてもきれいで、すてきな場所になっているのだわと思ったのです。
カレル公園を横切って通りにでると、そこに《聖イグナチオ・カトリック教会》がありました。
この教会は1686年の創設、17世紀から今日までずーっとたくさんの信徒さんたちの心のよりどころとしての教会活動を続けているということですが、今現在もところどころ修復作業が続けられての現存建物のようです。
「あらー、ここも聖イグナチオ・カトリック教会なの?!」
私は思わずつぶやきます。
昨年春から週1で通っているJR四谷駅の近くにある《聖イグナチオ・カトリック教会》と同じ名前だったから驚いてしまったのです。
そして親しみを感じて、横壁に彫ってある聖人たちの姿を手で撫でましたが、多くの、とにかく300年以上の歴史のあるたてものですから実に実にたくさんの人たちが私のように掌で撫でている結果でしょうか、聖人たちの顔も、姿も、かなり摩耗、ツルツルとした手触りでした。
「1686年創設って、1685年生まれのバッハとほぼ同じ歳の誕生だったのね!」
うっちゃんは音楽教師、テーチャー・モトコの顔になって、とても嬉しそうに言います。
「あの、それってやはり《G線上のアリア》のバッハのこと?」と、私も目を丸くして応じます。
「そうよ」
うっちゃんが行ったとたんに、音楽室のセピア色のバッハの肖像画がヒラーッと目の前に、そんな身近な人となりました。
「えー、あのゼバスティアン・バッハのことなのねー!」
私が感に堪えられない口調で言ったので、思わずミセスKも、うっちゃんも、そして私さえも、笑ってしまいました。
「ねえねえ、なにかおもしろいことがあったの?!」
ウランだけが狐につままれたような表情です。
これにも「ウランは犬でしょ、狐さんのような顔をしないのよ!」とまたまた大笑いでした。
教会の中に入ってみました、もちろんあの大笑いの顔はきちんと治めて、誰もが、私の傍らのウランさえもが実に厳粛な面持ちです。
聖堂の中は17世紀の教会のにおいがあちらこちらに漂っているかの雰囲気でした。
「まあ本当にすてきだわねー、天井画がすばらしわ!!」
うっちゃんが言うので、私は「どこどこ、この角度でシャッター切れば、そのすばらしい天井画が写るかしら?」と、その方向へ自分のデジカメを向けます。
お祈り代も、木の椅子も、角が丸くて、やはり歴史の風合いを感じます。
17世紀からずーっとここの教会で使い続けてきたものかしら!?」
そんなことを思わせるような手ずれのする風合いですが、でもまさか300年以上もとも思いました。
それにしても当然なことですが、この長い歳月の間には盲(めしい)の信者さんたちもこの教会のお祈り台で祈り、この椅子に腰をかけて神父様のお説教を一言もらすまいと聞き入ったでしょうと思えば、とてもとても私の掌に伝わってくる凄(すごみに)、その重圧の迫力には、たじろぐほどでした。
神様を信じる気持ちは今の私とは比べようもないほど清廉で、純粋だったのだわと、その木の椅子に腰をおろして、己の小ささに、信念の時々揺らぐ心もとさに、身じろぐ思いがしました。