『しっぽのある娘たちとともに 4』

 夫と私の生活にベルナが加わって家族となったのですが、しかし盲導犬との日々は決して楽しい事ばかりではありませんでした。
今から40数年前の昭和55、6年頃の日本の社会は、「盲導犬?」、「そんな犬知らない」、「見たこともないわ」と、私の周りは、そういう人たちばかり、どこに行ってもたった一言、「犬はだめ!」で断られてしまうのです。
「いえいえ、これはただの犬ではないのです、訓練を受けた盲導犬、私たち目の見えない人間の目になってくれる犬なのですから」と説明してもとりつくしまさえ与えられずに拒否されてしまうのです。

「虹たつと、言うを背中に聞きながら
 盲導犬と空仰ぎ見る」

 まずベルナと生活を始めた翌日、電車を乗り継いで私とベルナは高田馬場にある日本点字図書館に点字表記のあるグラム測りを買いに出かけました。
電車の乗り換えもうまく行って、日本点字図書館にも迷わずにたどり着いて、目当てのものも買い求められて、私もベルナも大満足、意気揚々の気分でわが家まで帰ってきました。
これに自信を持ってその翌日は区役所にバスを乗り継いで出かけてみました。
ところがです。
門を入って建物の中に1歩足を踏み入れたとたんに、「犬は連れてきてはいけません。」と声がかけられました。
「いえ、これは盲導犬なのです。
目の見えない私たちの・・・・」と言ってみたものの、周りを囲んだ職員のみなさんの反応はまったくダメ、聞く耳さえない様子でした。
「犬は規則で、建物の中にはいれられません」。
「ではどこに置くっていうのですか?」、「そうですね、ほとんどの人は駐輪場につないでから入ってきてくださいますが・・・」
「でもこの犬は盲導犬なんですよ、目の見えない私の目になってくれる犬なんですよ」、「そう言っても犬でしょう」
それから私の懸命な説明と説得が始まったのですが、とにかく前例がないと言うことなのです。
それはそうでしょうと、内心思いました。
ベルナは私が住む区内で初めての盲導犬なのですから。
そして前例がなければ、その前例を作ったらいいんじゃあないのとも思うのですが・・・・・。
ほぼ1時間も駐輪場に場所を移してから話し合いが続いて、なんとか区役所の中にベルナと一緒に入れるようになって、なんとかその日の用もすませる事ができました。
でも満足感はまったく感じられなく、かなり気持ちは鬱々で、バスを乗り継いでベルナとわが家に帰りました。
 ベルナは盲導犬、生まれて2年二ならないうちから盲導犬になる為の厳しい訓練を毎日受けて、4週間の私との共同訓練も受けて、最後の卒業テストも繰り返し2回も受けて全て合格、それなのにどうしてこうなるのか、なにがこうさせるのかを考えました。
そして気がついたのは、まず盲導犬を知らないから、理解してもらえない、だから受け入れてもらえないんだという事です。
それならここからはまず、盲導犬を知ってもらう、盲導犬をわかってもらう、盲導犬を正しく理解してもらう、そして盲導犬を受け入れてもらうという目標をもって、ベルナとの生活を広げていく事にしようと、私は初めて心の中に小さいけれど確実な目標を目指す燃え上がる炎を感じたのです。
 まず雨が降ろうと少し風が強い日にでも夫が自分の治療室に出かけていくと、そそくさとベルナと出かける準備を始めて、今日はあっち、今日はこっちと足の向くままに、気持ちのむくままに出かけていきました。
そこはかつてまだ目が見えていた頃よく出かけた場所で、地図が確実に私の頭に入っているという条件がついてはいましたが、とにかく出会う人たちの中に入って、出会う人たちと気軽なおしゃべりができたらと、そこから始めました。
それは目の見えていた頃、かなりな人見知りでなかなか人とのおつきあいには腰が重く、フットワークの悪い私でしたが、自分自身でも驚くほどの勇気が湧き出て出会う人、出会う人と話し合いができるのです。
でも一番この目標に効果的だったのはバス停でなかなか時刻表気にやって来ないバスを待っている時でした。
当時の交通事情の悪さだったでしょうか、通勤時間を外れるとバスの動きは不思議なほど鈍くなって、やって来ないのです。
バスに乗ろうと集まって来た人たちは横にあるベンチに腰をかけておしゃべりに花を咲かせるのです。
そのにぎやかな場所から少し離れた所にベルナと立っている私に目を留めた人が、「あれー、犬もバスにのせるのですか?」と尋ねてきます。
まず最初のラッキーさんが飛んで来たーと、「この子は犬ですが、盲導犬という仕事を担っているのです」と、私はまず応えます。
するとまた違う声が、「盲導犬ってー?」と尋ねてきます、ほーら2番目のラッキーさんが飛んで来たわーと、私の心は軽く弾みます。
「盲導犬は目の見えない私たちの目になって、どこへでも一緒に行動してくれる犬なのですよ。
そしてその為の訓練も十分に受けて、育ってきているので、他の人たちには危害を加えるなんてことは決してないのですよ」と、私はベルナの頭を撫でながら答えます。
するとまたほかの声が、「なるほどねー、そういう犬が生活の中に一緒にいれば、あなたもずいぶん助かるのね」と相槌をうってくれます。
ここまでくれば、最初の目標、知ってもらう、わかってもらう、理解してもらうという3段階のステップを踏んだ事になります。
そして最後の受け入れてもらうという事は、この広がりの結果として必ずあるはずだと、私は思いました。

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