京都で清水寺の坂を上がって行きます、それはまるで芋を洗うがごとの込み合っている坂道でした。
そして清水の舞台の上から山科の方に向かって懸命に、盛んに、手を振ります。
山科は私の母が眠っている墓所のある方向なのです、そしてここに立って手を振り、声をかける、これが私の京都の地に眠る母への墓参りなのです。
「おかあさーん、元気にしていますか、天国でもお金の計算があって、そろばんで毎日毎日パチパチやっているのー?」とです。
そしてさまざまな母の顔を、言った言葉の数々を、思い出します。
「あのね、頭がへんなの、壊れてしまったみたい」と、母が私に告げたのは何歳のころだったのでしょうか。
女学校に通いながら家の商売のそろばん勘定を一手に引き受け、懸命に務めた人でしたから、頭の回転と物事の計算は迅速で、確かな人でした。
でもお母さんは最後は寂しかったんだよね、ままならないから頭が痛くなるほど考えちゃったんだよねと、今ではあの頃の母の気持ちが手にとるようにわかります。
今では娘の私があの頃のお母さんの年齢になってしまいましたから。