『しっぽのある娘たちと共に 2』

 光も影もまったく見えなくなってしまった私が抱ける夢はなにだろうかと、私は1年6か月の巣ごもり生活の中で毎日のように考えました。
そして究極思い至ったのは、『お母さんになりたい。』でした。
それも『目の見えないお母さんでも、わが子を目の見えるお母さんのように子育てのできるお母さんに。
そうだ、私はそういうお母さんになりたいんだ』とです。
それには何といっても、今のように誰かの手につかまって歩いているようではだめ、もっと自立しなければと考えました。
 失明の原因である、『ベーチェット病』は高校3年生の春に発病したのですが、それを誰にも言わずに念願だった高校を卒業したらわが家を出て、社会へ飛び出して行った私、目標が決まればとにかく前へ進む事しか考えないこの私なのですから、目が見えなくてもあれもこれもそれもだいじょうぶ、私だったらきっとできると思いました。
しかし唯一、そんながむしゃら人間のこの私にも、とても難しい事がありました。
それは白い杖での独り歩行です。
 白杖歩行は都立心身障がい者センターで6か月間専門の指導を受けて、基本的な行動は教えてもらいました。
それによって、なんとかデンシャやバスに乗れるようになりましたし、買い物も白い杖を操りながら出かけられるようになりました。
しかし、やはりいつもオドオドビクビクの連続でした。
白い杖の人の動きをジーッと伺いながら眺めていますと、その目的物に向かって行く動作の確かさ、素早さ、そして億劫がらずに何の迷いもなく動けるという事は、どうにも私のような27歳までは見えていた人間には乗り越えられない壁のような難解なむつかしさがありました。
そして私は1980年3月、3歳で失明した郡司幸治さんと結婚しました。
高田馬場のシロアム教会で花嫁衣装に装って、イエス様の前で永久の愛を誓い合った私は34歳の花嫁でした。
 さあいよいよ結婚はした、なんとかわが子をと、階段をひとつ上がった気持ちでしたが、しかしここからは私のこの白い杖での日々はわが命とわが子の命を守らなければならないのです。
できるだろうか、だいじょうぶだろうか???
とても不安がありました、恐怖感さえあったのです。

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