『新春ミサの神父様の説教は《つながる》という話でした』

 1日のお昼にフローラと教会へ新春ミサに預かる為に出かけました。
神父様のお説教は《つながる》ということでした。
私もいつも思います。
手を伸ばして伸ばしていけば、きっと指先に触れるだれかの手指があって、それをそーっと握ればきっとそーっと握り返してくれるってです。
でも2022年はそうともいえない出来事があって、かなり落ち込んでしまいました、特に届いた2通のメールには頭が真っ白になるほど驚き、奈落の底に突き落とされて行くような恐ろしさ、本心「怖い―!!」と体も、心も、震えるほどの恐怖心に捕らわれました。
しかしこんな恐怖心を抱いたあの2通のメールも、また私にとって《恵み》だったんだわと、最近やっと思えるようになってきました。
やはり手を伸ばし、伸ばしていけば、きっとそこに誰かの手があって、握ればきっと握り返してくれる手があるのだと、私は信じられる自分でいたいと強く願い、そして「きっとそうなるよ」と思うのです。

【写真】新春ミサ 教会の中庭にて(令和5年1月1日)

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