『それでも生きていく私がいます』

 2020、トーキョウ・オリンビックがいよいよはじまりました。
最近はテレビなどまったくと言うほど見ない私ですが、久しぶりに23日の夜はテレビ桟敷に陣取って、4時間ほどの長丁場をじっくりと見いってしまいました。
 57年前1964年10月10日、昼下がりの東京の空は吸い込まれそうな紺碧、そこに飛行機が五輪の輪を描きました、その光景を新宿のビルの屋上で仰ぎ見ていた私は19歳、すでにベーチェットを発病して2年、時々襲ってくる目の痛さに耐えての日々でした。
このまま病気を持って社会の中で自分を保って生きていけるだろうかと明日からの日々を思えば揺れ動く心細さ、自分を消してしまいそうな恐怖感がありました。
それでも、その日、その時の私は、大空いっぱいに飛行機雲で描かれていく大きな、大きな五輪の丸を眺めて、私にも未来は必ずある、そこに夢を託して生きていける力も私にはあるのだと言い聞かせました。
 紆余曲折の57年分の道をたどって、空いっぱいに描かれた五輪の輪を今は体で感じながら眺めている私がいます。

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