『一枚のお皿にもドラマがあります』

 私は骨董屋さんに立ち寄るのが好きです、散歩の途中でそのようなお店があるとほぼ必ず立ち寄って眺めさせてもらいます。
2月の初めころから気にかかっている明治時代の日常雑器、織部焼のこどんぶりがありました、どんぶりといってもそれほど深いものでもないからお皿としても使えるかなーともおもっていました。
でもその時は手に持って見せてもらうだけでおしまいにしましたが、それが時々私の胸をチクチク刺激してくれるのです、あの器で何を食べたらすてきカナートいう思いです。
そして後日の遠足の途中で、そのお店にまた立ち寄らせてもらいました、すでに売却されていたら・・・・・、ご縁がなかったのだわと思えばいいのだからって気持ちでした。
お店番をしていた90歳近いおばあちゃまがとてもフローラの再来を喜んでくださって、またまた手に取らせてもらい、今度はしみじみと眺めさせてもらいました。
手で撫でてその器の感触を味わって、その器を耳に寄せて器の声を聴きたいと思います。
かつて明治のころ、どんなご家庭の食卓に並べられていたのでしょうか、そして家族のどんな会話をその食卓の上で聞いていたのだったでしょうか、器からのぬくもりが伝わってきそうです。
家族の集まりの中で、四季折々の、年月折々の、さまざまなドラマを見聞きしながら、今令和のこの時代に目の見えない私、子育ても終わって独り暮らしのわが家の食卓に並べられる・・・・・。
壮大なとはいかないけれど、ささやかな庶民のドラマだなーと思って、わが日常の物とすることにしました。
その時たまたま見つけた子伊万里焼と篠焼の小皿も包んでいただきました。
人生の終結のシーズンに入りかけた私、ここからまたスタートさせる私の日々に、私が私のために買い求めたやや遅めの『バレンタインディの贈り物』だったかなーと。
帰路の背中にせおったリックサックから何かつぶやく声が聞こえてくるような気持ちを感じながらデンシャに揺られて快い満足感に満たされていました。
織部焼 こどんぶりの写真

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