『責任を持ってください』

 今回またまた有名、小学校の音楽の教科書にも彼の作品が載っている《チョー・ポピラーアーティスト》が違法薬物不法所持で捉えられました、まだ今回の捉えられについては詳細がわからないのですが・・・・・。
私も彼の作詞作曲した『世界にひとつだけの花』、この歌がとても好きでした。
日常生活の中で行き詰まってしまった時には、まるで自分を励ますかのように何回も、何回もその歌を口ずさみました。
だからとてもこの逮捕はショックでしたし、「なぜ???」という気持ちは今でも続いています。
彼には少なくとも自分の作品に責任はあるのではと思います。
この自分の作品に責任をということに関して、私にも忘れられない、ニガイ思い出があります。
 私は《ベルナのしっぽ》の著者として、かつて何冊かの本を出版、作家活動を生業にしていた時期がありました。
そんな時に身に覚えのない噂話を流布されたのです、でもこれは言うならば《有名税》のひとつかなーとも受け止めての黙殺していましたが、そんな悠長な訳にはゆかないところまであれよあれよの間にその噂話が原因で貶められてしまったのです。
 そんな中で、ある日メールが私のところにはいりました、それは遠方に住んでいる私の著作物のフアンという人からのものでした。
そこには『ななえさんには自分の本の著者としての責任を負っていただかなければなりません』とありました。
私はその脅迫めいた文章に体全体がこおりつき、やがて頭から足先、手先まで痙攣が走っていることを自覚しました。
そして意を決して、 この噂話の根元をたどっていくと、『ベルナのしっぽ』出版当時から私のごく身近に居てくれた人が妬みの塊となって陰険に爆発、有りもしない話をつくりあげて、無作為にある意図を持って流布させていることがわかりました、そしてその後しばらく私は落込みました、人間嫌いにもなりました。
噂話はおもしろいように四方八方に広がって行き、私の弁明などは後手、後手の策で、結局このことが原因で長く友人以上の友達、人生の最後まで友情がと信じてきた彼女との関係は無惨に崩壊、後ろ足で蹴散らかすようにして私から去って、そして今でも疎遠、お付き合いはまったくありません。
 そんなことがあってから10数年経て、私はまた『人間大好き』にもなりましたし、『生きることは最高に幸せなこと』とも思うような日々を過ごせるようにもなりました。
そんな時でも時々、沈思黙考、自分の足元を見つめて、自分の両の手を見つめて、「私は課せられた責任を果たしているだろうか???」と自問自答することがあります。
「はい、だいじょうぶです」と応えられる私にはなかなか成りきれずに、まだまだだなーと思うことばかりです。
しかしこの未完成の私だからこそ、時々自分の心模様と周りの様子をよーく見聞きして、自分の足位置を踏み固める、これこそが、この行動を繰り返すことが、『自分の人生を生きる』ってことなんだなーと、最近しみじみと思うのです。

ページの先頭へ
前のページに戻る