『見えなくなる前になーって、しみじみ思うこと』

眼が見えなくなる前にこれしておけばよかったなーと、最近すごーく残念に思うことがあります。
27歳で失明する前に、もっと映画をたくさん見ておくんだったわってこと、人間の顔の表情をよーく観察、記憶しておくんだったなーとです。
そして、もっとたくさんの花を見て、その花を憶えておくんだったなーともです。
 昭和30年から40年代の街角には、たくさん映画の看板があって、私は足を止めてそれを眺めるのが好きでした。
だからでしょうか、古い洋画のタイトルが出てくると、その看板の絵は思い出せるのです、しかし映画そのものを実際に見てはいないから、具体的なストーリーは蘇ってくることはないし、かつての銀幕のスターたちの演技、その都度の顔の演技も蘇ってくることはないのです。
たとえば驚愕で驚いた顔の表情、喜びのあまり驚いた顔の表情の微妙なところまでの違い、を文章に表すことが的確にできない、これがとても残念なことです。
そして今現在目の見えない私の頭に、その都度具体的に描けたら、どんなにか空想がひろがって楽しいでしょうと思うのですが、残念ながらそれもやはりできないのです。
それに最近いろいろな花の名前を耳にすると、すぐに辞書を引いて記憶をたどろうとするのですが、その花の具体的なイメージがなかなか鮮明に思い描けないのです。
 でもでも、『ああ、目が見えている頃になー!』、なーんて嘆かないで、これからは興味のあるものは納得のゆくまで見えない目で見る、そして理解して記憶にとどめる努力をする、これが私のこれからの生活をいかに豊かに過ごせるか、とても必用な努力なんだなーと思うのです。

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