東欧・プラハへの旅 NO.10 第3日目

 朝5時ころ目覚めてまず洗面所に直行、そこはバス・トイレ、そして洗面所がひとつのドア内、昨夜私とうっちゃんがバスを使ったので昨日よりまたより水っぽいタイル床になってしまっていました。
「しかたがないねー」と爪先立ち歩きで洗面台に向かって洗顔をすませてから、朝風呂に入って一息をついた後に手早く着替えをすませて階下のダイニングに下りて行きます。
私といっしょに起きたウランはすでに朝のドッグフードを食べて、ワンツーもすませて、リビングの絨毯マットの床にながながーと寝そべり寛いで(くつろいで)いました。
「おはよう!」
声をかけるとあわててしっぽをお義理に振りながら、「お母さん、わたしここにいるんだからね」と言うようにこちらを見上げて、それでもびくとも動こうとはしません。

今日は6時にこのアパートメントハウスを出発することになっている英語教師テーチャー・クミコは、すでに出かける準備万端整えたスタイルで、ゆったりと、実に彼女らしくゆったりと朝のコーヒーを飲んでいましたが、私に笑顔で「おはよう!」と応えてくれました。
「ななえさん、ちょうどよかったわ」
うっちゃんがキッチンから私をふりむいて話しかけてきます。
「今ね、ミセスKがみんなをガイド青年との待ち合わせ場所まで送っていくから、もどってきたら私たちも朝ごはんにしますからね」
日本にもどれば音楽教師のテーチャー・モトコことうっちゃんは、このアパートメントハウスのキッチンに昔から居た人みたいに雰囲気で、こちらもまた実にピッタリとおさまっているのです。
私は寛いで(くつろいで)リビングの絨毯の上に、これまた昔からここに住んでいる犬みたいな顔をしているウランの頭を撫でながら、「ウン、朝ごはんの前に目覚めのコーヒーをもらえれば、それでOKよ」と応えます。
 今日は本来ウランの帰国のための動物病院受診、そして書類にチェコの国の公印を押してもらうために役所に出かける予定日だったのですが、それが明日に変更となったのです。
それでウランを中心とした私たちはのんびりの一日になってしまったのですが、英語教師テーチャークミコをリーダーとしたかなこちゃんを含む音楽科教師・三人姉妹、総勢5名は、本来の予定通りにプラハよりはるかに美しいロケーションと言われている世界遺産の《チェスキークルヌロフ》を訪ねて行くのです。

そこはお城と坂の道、どこから写真を撮ってもおとぎの国のようなロケーション、まるで自分が昔の東欧の少年・王子様、少女・王女様みたいな気持ちになってしまうというのです。
どのガイドブックを見てもここが今とても人気のスポットなんだそうです。
今回このチェコのあらゆることをレクチャーしてくれたミセス・ハルミに紹介されて私たちは2人の彼女から日本語を学ぶ生徒さんをそれぞれ1日づつガイドのお願いをしてありました。
今日は男性で明日私たちと同行してくださるガイドさんは女性だということです。
 うっちゃんが入れてくれたモーニングコーヒーを飲んでいると、現地ガイドの青年との待ち合わせ場所まで一向5名を引き連れて行ったミセスKがもどってきました。
「いやー、とてもすてきな若者だったわ!」彼女は朝ごはんを待っている私たちのために小走りでもどってきてくれたのでしょう、息が少しあがっている様子です。
「優しそうな青年くん、あの人たちに着いて歩くんだから、今日は大変なガイドだわ!」
ミセスKがやや思案気な顔で言って、私とうっちゃんは相槌をうちながらも、思わず笑ってしまいました。
 朝ごはんを食べ終わるとミセスKが宣言するように言います。
「こちらはこれから洗濯機と格闘して、あの水だらけの洗面所をぬぐったタオル類を洗うから、ななえさんは少しゆっくりしていていいわよ、こちらの出発は10時としましょう」
その言葉にあまえて、私は食べた食器の後片付けもしないままに立ち上がって、屋根裏部屋への階段を上がって行きます。
そしてベッドにもぐりこんでウツラウツラ眠りを楽しみます。
時々目覚めるとリンクポケットを使っての読書タイムです。
私のストレス解消法で何がお金を使わずに、そしてはた迷惑にもならずといったならば、散歩と称してただただ歩き回ることと、それにウツラウツラの居眠りと読書です。
それを今回は同時にできるのですからきっと効き目抜群なはずなのです。
とにかくこのプラハに出てくるまでの私の体調といったら最悪状態でした。
そこまでの間にもいろいろ体内から不都合を訴える症状は出ていたのですが、とにかく眠れない、眠っても熟睡度が感じられなくて常に睡眠不足感が続いていました。
私は子供のころからあまり睡眠時間は長くない性癖があって、短い睡眠時間でも熟睡さえできれば目覚めの気分は快調なのです。
しかし今回のこの《眠れない》、《眠りが浅くて熟睡感がない》は、いつものものではないなーという感覚はありましたし、体のだるさ、気分の悪さにも、日常的に悩まされても居ました。
そのうちに7月の下旬頃から声がのどの奥に引っかかって、思うようにその声が出てこないという症状になってしまいました。
検査の結果は異常は無いということで、長年診ていただいているドクターから紹介状をもらって耳鼻咽喉科に出向いて、声帯の検査も受けましたが、そこでも異常は見つかりませんでした。
しかし声がのどにひっかかって、言葉が思うように出てこないということも自覚症状としてあるのですから、《検査結果は異常無》と言われても、ただただ戸惑うばかりでした。
「ストレス性のものでしょうねー、心療内科に紹介状をかきましょう」
気持ちの晴れない私にホームドクターは言われるのですが、この症状が心因性のものだとわかってからの海外旅行は、自分の気持ちをもっと重くするでしょうし、つらいものになるとも考えて、それはこちらからひとまずお断りをすることにしたのです。
だからヘルシンキまでの飛行機内での私の体調の突然な変調は、すでに私には織り込み済といったところでもあった訳です。
とにかく疲れていました、それも今までに感じたことのないほどの疲労感だったのです。
今回の旅の目的はここで生活環境をスパーッと切り離して、とにかく日本を飛び出してたった7日間でも別世界で、この鬱々とした気持ちを切り替える、そのためのプラハへの旅立ちでした。
そして一週間の非日常の生活の中で、それらの芥(あくた)のような悩み事を一気に一掃、心の洗濯をしたいという気持ちでウランと亀戸のわが家を出発して来たのです。
精神も、肉体も、完全休養取る、これがこの今自分に出ている症状のなによりの薬になってくれるはずだ、そのように私は思っていました。
 現地時間に合わせてある腕時計を見たら9時40分を回ろうとしています、そろそろ出かける準備をと私はやおらベッドから起き上がりました。
いつの間にかリビングのフカフカ絨毯マットの上で眠っていたウランが私の屋根裏部屋のベッドの横で丸まって眠っています。
そのウランの足を踏まないように裸足の足で床に建ちますと、「あらまぁ!」と彼女が薄くまぶたを開いてうかがうようにこちらを見ています。
それはまるで、「お母さん、お出かけですか?!」と言うかのようにです。
ウッちゃんが階下から上がってきて、「ななえさんそろそろ準備いいですか?」と声をかけてきます。
悪戦苦闘した洗濯機もやっと乾燥までマシーンを操作することができて、なんとか全て洗って、乾燥まではできたということです。
「やっぱり自然乾燥が一番なんだわねー、こうして乾燥機で乾いたタオルってさ、まるでするめみたいにバリバリなんだよね」とうっちゃんはなげきます。
それでもビショビショになってしまった洗面所のタイル床をふきぬぐったタオル類がバリバリでも完全に乾いてくれて、二人とも満足顔です。
それにうっちゃんはすでにこのアパートメントハウスの管理会社にバスの排水が床を汚してしまう、なんとかならないのだろうかと、メールで伝えたということでした。
外出の身支度を整えている私の周りをしばらくウロウロしていたウランはいつの間にか姿を消して、その気配さえしません。
「ウランはどこですか?、洋服を着せなければならないんだけれど・・・・・」
階下に向かって声かけると、「ここに居ますよー、玄関マットの上にスタンバイでーす!」とミセスKの声がかえってきました。
思わずそのウランの機転の良さには笑ってしまいましたが、「そういう機転の良さが私にはかけているのかもねー・・・・・」とも思いました。
このプラハへの旅はわが子に教えられること、これもまた大いにあるもののようです。

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